今月から、Kさんが執行役員としてメンバーに加わり、歓迎の席が設けられた。 西麻布にあるこじゃれた創作料理の店が会場に選ばれ、個室を予約する。 社長行きつけの、割合お高い店であるのだが、近頃金回りの良くなった我が社は 接待はもとより「皆でちょっと飲もうか」という時さえ、わざわざカネのかかる店を利用する。
ベンチャーってこういうものなんだろうか、と訝りつつ、今やアタシの手元にある “お疲れ一杯店リスト”は、政治家や芸能人もよく訪れるというベラボーな店ばかり。 こんな無駄遣いしてうちの会社いつまで持つのかしら、なんて危惧は口にするのも 野暮だといわんばかりの、アタシ以外はブルジョワ人な社員の面々…(-_-;)
全体会議のあとタクシーに分乗し『水色(すいしょく)』に着いた。一歩中に入ると そこはディスコかバーか、はたまた夜の水族館と見紛うような、その名のとおり 揺らめくブルーにライトアップされた幻想的な空間であり、モデルみたいななりの お兄ちゃん達が廊下のそこここに立って、微笑を浮かべ我々を個室へと誘導する。 先に通された社長を含む数人は既に、掘りごたつになった円卓にゆったり座を占め 後発隊を待ち受けていた。何だかバーのホステスになった気分だった。
例によって事業部長(女性)の自慢話が始まった。運悪く真横に座ったアタシに向かい 目利きの実績や錚々たる人脈を、酒が入り澱みのない滑舌でこれでもかと披露し出す。 他のメンバーは比較的控えめなのに、楽しい筈の無礼講の席でこの人だけなんでこう 仕事絡みの話(大半が自慢)を滔々とぶちあげて酒を不味くするのだろう。 アタシは適当に相槌を打ち料理に舌鼓を打ち、時々あくびを噛み殺しながら 彼女から逃れる瞬間を待ち構えていた。社長にフレよ、そういう話は(-"-;) それが終わると、今度はすかさず一流ブランド品の薀蓄が始まる。自分をこの会社に 紹介したヘッドハンターを褒めちぎる。全ては彼女の自己アピールに直結する話題である。
皆オトナだからか嫌な顔ひとつせず、ウンウンと感心した素振りで聞いているのだが 何かの拍子に別の話題が登場するとそちらを向いてしまうのは、退屈している証拠なのだ。 かつて社長職さえ務めたという輝かしいキャリアと知性を、こういったスノビッシュな 本性を露呈することで台無しにしてしまうのは、いかにも勿体ないことだと思うのだが ご本人は意に介していないらしく、この手合いは人種が違うと考えることにした。
全員イケるクチなので、口当たりの良い高価なワインのボトルが次々と開けられる。 飲み干すと早速注ぎ足されるため、常になみなみ湛えたグラスをジュースのように ごくごく空けなければならない。日本酒とチャンポンなので、悪酔いしてしまうのでは ないかと不安だったが、指先まで痺れる酔いも、しばらくするとスッと引いてゆく。 酸味と悪酔いがイヤで、ワインは普段あまり飲まないのに、さすが良い酒は違うなぁ。 次は何を飲む?と訊かれてもビール党なのでよく分からず、自慢部長に倣ってみる。 “火中の栗”というお酒は、一杯幾らするのか知らないが、温燗の底にトロリとした 栗が沈んでいて、甘く美味しかった。この連中はこういう酒を飲みつけているのか…。
自慢部長の話の中にひとつだけ、大変興味深い話題が出たので書き出すことにする。 『夜寝てたらフッと目が覚めて、全身が硬直して全く動かないんです。 そして掛け布団がフワ〜ッと浮くんですよ。そこから首筋や顔めがけて サーーッと暖かい風が吹いてくるんです。見ると顔の周りをラットがぞろぞろ 走り回ってんの。落ち着け、私は科学者なんだ、幻覚だ、落ち着け…! でも思い起こせばその日、私はラットを実験で何十匹も潰していた!(笑)』
今回の主賓のKさんは、終始部長に圧倒されて、影の薄い聞き役に終わってしまった。 宴もお開きとなり、帰りは同じ方向なので、自慢部長と一緒のタクシーに乗り込む。 アタシはもっと幽霊ラットの話の続きが聞きたかったのだが、降りるまで部長は 運転手をも聞き手に回し、運転技術の自慢話だけを延々語らい続けたのであった。
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