表向きは威勢良く吼えてみることもあるが、自他ともに認める甘ったれである。 幼い頃は虚弱体質で、母親が何かと心配してかまいつけた所為もあろうか。 アタシの母は、短気な性格に加えて万事手際が良かった。何をするにも、我が子が おぼつかなくモタモタする様子を、いつも忍耐強く見守ってはいられない人だった。
幼稚園に上がっても、顔を洗って拭いてくれるところから、靴を履かせるところまで 母がやった。アタシは給食を食べ終わるのも着替えるのも送迎バスに乗り込むのも クラスで一番トロく、粘土の袋が開けられないだけで泣き、先生の助けを待った。 案山子のように突っ立っていれば、必ず誰かしら世話を焼いてくれ、ことは落着する。 そうして未だに、苦手なことは放り投げ、人任せにする他力本願癖が抜けきらない。
先日、そんなアタシを見かねたある人に『ダラシのないやつだ』と諌められてしまった。 『女だということに甘えてないか』とも。男の口から言われると流石に堪える(-_-;) 仰る通り、甘えているのでございます。自分のことを自分でやるのは当たり前だけど 不得手なことは「出来ない」と差し出せば引き取ってやってもらえる。楽ちん。 それが普通のようにずっと思っていたが、いつまで小娘でいられる訳じゃあるまいし 三十路を過ぎたらその手はもう通用しなくなってきてるのね。当然か…(汗) 一つ弁明が許されるとするなら、アタシは面倒くさいことが嫌いで不精なだけよ。 「女」を武器にするなんざ、10年遅いとちゃんと承知しててよ( ̄ノ0 ̄) …だめ?
真紀子前外相が悔し涙を見せたことで、小泉首相が『涙は女の武器』だと発言し 顰蹙を買う場面があった。真紀子さんがあそこで女の特権を行使したとは思わないが それとは別に、実際女というものは、男に花を持たせるように見せて、非力を盾に 有利にことを運ぼうとする傾向や、期せずとも結果としてそうなる場合が 確かにないとは言えない。そしてそれを常に巧みにやってのける女は 時として“悪女”とか何とか、不相応にかっこいい呼び方をされることもある。 本気で涙を武器とするなら、そこには機転で駆け引きに応じる構えがあり 役者もタイミングも全て怜悧な計算ずくの、頭脳プレイということである。 一口に「女を武器に」と言っても、聡明さとしたたかさが前提になければならない。
そんなの10年早いわ。いや、及びもつきませんです… σ(-。-;)
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