みちる草紙

2001年10月16日(火) 散り際の王妃

今年もこの日がめぐって来た。毎年10月16日になると
昼時に一瞬の瞑想を行うのが、幼い頃からのしきたりとなっている。
ちょうど終戦記念日の正午、国民が戦死者の霊に黙祷を捧げるのと同様に。
我が国で最も有名なフランス女性の命日、と言えば分かるだろうか。
1793年10月、マリー・アントワネットは断頭台上で刑死を遂げる。
王位を剥奪され、獄舎に囚われ、過酷な裁判の末の死刑判決だった。

まだもの心つくかつかない時分、恐らくテレビでだろうが定かではない。
白黒フィルムで見た、荷馬車で刑場に引かれて行く一人の女性の姿を
漠とだが覚えている。処刑台の階段を、無表情に一歩一歩上りつめるさまを
カメラが追っていた。あれは戦前の映画“マリー・アントワネットの生涯”の
ワンカットを掬ったものに過ぎなかったのかも知れないが、30年近くを経ても
子供心に受けた鋭い衝撃と感銘が、今なお焼き付いたまま褪せずにある。
その後幼稚園から小学校に上がり“ベルサイユのばら”は暗記するほど
繰返し読んだ。特に王妃の最期の場面では、何故か居ずまいを正した。
ツヴァイクにカストロに遠藤周作にと、アントワネット伝を読み漁ったものだ。

何がそこまで少女の心を捉えたのか、実は自分でもよく分からない。
或いは究極のヒロイズム。後世名誉回復を果たし、恐らくは相当に
美化され語り継がれているのであろうその「誇り高き王者の死にざま」に
人々は恍惚と陶酔と、またある種神聖な思いを抱くのかも知れない。
悲劇性と、屈辱を転化した揺ぎ無いプライドと。死出の作法。滅びの美学。
それら全てをまっとうする死に方が出来る人間は多くはない。
(そう言えば、かつての日本人は汚辱よりも誉の死を選んだと言うが…)
現代においては望むべくもない、永遠に失われた大時代的ドラマへの
回帰熱のような気もする。  

因みに、新宿の伊勢丹美術館で『フランス王家 3人の貴婦人の物語展』
を開催中。いつ行こう…休日の伊勢丹は混みそうだからイヤだし。


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