なんとなく続いている日記

誰かに読ませるつもりで書くものではないが
誰かに読まれた時のことも考えて書くもの。
それが日記。

では、Web日記とは一体・・・

2020年01月31日(金) 生きるって何?

父のカテーテル治療?手術?が無事に終わりました。
2時間50分もかかったけど。

先生曰く、過去最長が3時間だったそうなので、史上二番目の長さだったようです。お疲れさまでした。

たぶん、めちゃめちゃ腕の良い先生だったと思われます。
(相当に条件の悪い中、難しい箇所を奇麗に仕上げてくれたので)
本当にありがとうございました。

術中、母も妹もすごく心配していて・・・
ああ、そういうものなんだぁ・・・
なんてことを思ってしまいました。

俺、ぶっちゃけ、1ミリも心配していなかったもので。
腕の良い先生にやってもらってるんだから、きっと上手く行くだろうし、もし駄目なら、この先生で駄目なら誰が何をやっても駄目だっただろうし。結果を受け入れるしかないでしょ。

そんな感じでした。


術中、暇だったので(本当に心配もしてないし、ただただ暇で(苦笑))院内を散歩してたりしてたのですが・・・

本当に老人ばっかりね。

なんか・・・
もう意思疎通なんて出来ないんだろうなぁ・・・と思う老人とか、「帰らせろー!!」と叫び狂ってる老人とか、勝手に点滴を外しちゃって「俺、仕事に行かなきゃ!」と完全にボケちゃてる老人とかetc...

はっきり言って、数十年前なら確実に死んでるような老人が多数いた。医学の進歩は凄いと思った。

でもね・・・
この人たちって、なんのために生きてるんだろう?
生きていくことを本人は望んでいるのだろうか?
家族が望んで生かしているのだろうか?

この人たちがあと10年生きちゃったとして、その10年て、その人やその家族にとってプラスなの?いいことなの?何なの?

言葉を選ばなければ・・・
死なないから生きてる。
生かされてしまっているのです。

彼らはもう、自分で死を選ぶことすらできません。

こういう老人を、医者はどういう気持ちで治療するのだろうか?
仕事だからやる、それだけなのだろうか?
実績のため?
責任感?

わかりませんでした。


「生きる」ってなんだろう・・・

そんなことをすごくすごく考えさせられました。

正直、俺はそこまでして生きたくないな。
死ぬ権利ってものが欲しいです。


そんなことを考えてたら、父が生きて戻ってきました。
元気そうで何よりです。
週末には退隠出来るそうです。

ということで、来週からまた父は、趣味もなく、母以外の人と接することもなく、特に楽しみもあるわけでもなく、ただ三度の飯を食べて寝るだけの生活が再開されるわけです。


「生きる」って、本当になんだろう・・・


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