父のカテーテル治療?手術?が無事に終わりました。 2時間50分もかかったけど。
先生曰く、過去最長が3時間だったそうなので、史上二番目の長さだったようです。お疲れさまでした。
たぶん、めちゃめちゃ腕の良い先生だったと思われます。 (相当に条件の悪い中、難しい箇所を奇麗に仕上げてくれたので) 本当にありがとうございました。
術中、母も妹もすごく心配していて・・・ ああ、そういうものなんだぁ・・・ なんてことを思ってしまいました。
俺、ぶっちゃけ、1ミリも心配していなかったもので。 腕の良い先生にやってもらってるんだから、きっと上手く行くだろうし、もし駄目なら、この先生で駄目なら誰が何をやっても駄目だっただろうし。結果を受け入れるしかないでしょ。
そんな感じでした。
術中、暇だったので(本当に心配もしてないし、ただただ暇で(苦笑))院内を散歩してたりしてたのですが・・・
本当に老人ばっかりね。
なんか・・・ もう意思疎通なんて出来ないんだろうなぁ・・・と思う老人とか、「帰らせろー!!」と叫び狂ってる老人とか、勝手に点滴を外しちゃって「俺、仕事に行かなきゃ!」と完全にボケちゃてる老人とかetc...
はっきり言って、数十年前なら確実に死んでるような老人が多数いた。医学の進歩は凄いと思った。
でもね・・・ この人たちって、なんのために生きてるんだろう? 生きていくことを本人は望んでいるのだろうか? 家族が望んで生かしているのだろうか?
この人たちがあと10年生きちゃったとして、その10年て、その人やその家族にとってプラスなの?いいことなの?何なの?
言葉を選ばなければ・・・ 死なないから生きてる。 生かされてしまっているのです。
彼らはもう、自分で死を選ぶことすらできません。
こういう老人を、医者はどういう気持ちで治療するのだろうか? 仕事だからやる、それだけなのだろうか? 実績のため? 責任感?
わかりませんでした。
「生きる」ってなんだろう・・・
そんなことをすごくすごく考えさせられました。
正直、俺はそこまでして生きたくないな。 死ぬ権利ってものが欲しいです。
そんなことを考えてたら、父が生きて戻ってきました。 元気そうで何よりです。 週末には退隠出来るそうです。
ということで、来週からまた父は、趣味もなく、母以外の人と接することもなく、特に楽しみもあるわけでもなく、ただ三度の飯を食べて寝るだけの生活が再開されるわけです。
「生きる」って、本当になんだろう・・・
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