『羽生 善治』小学校1年生で将棋を覚える。その後、八王子の将棋道場に通うようになりめきめきと上達。羽生の親が買い物をするときに、託児所代わりに将棋道場を利用したこともあった。5年生の頃から関東各地の子供将棋大会を総なめにする。母親が我が子を見つけ易いようにと、いつも広島カープの赤い帽子を被らされていて、周囲からは「恐怖の赤ヘル」と恐れられていた。彼自身は巨人ファンだった。ツボ↑