ぼんやり日記
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2004年01月29日(木) コレよりアレ

幼稚園のクラス委員会の後、同じ年少さんのお母さん達と
昼食を食べに行った。わーい外食だ。

私は楽しく話せる時と、ぼぼーとしている時のギャップが
大きいので、陽気な時はできるだけみんなと話すようにしている。
陰気な時もできるだけ陽気になるよう努めているのだが
やっぱり陰気らしいので、目立たないようにひっそりと
道端のハルシオンのごとく息を潜めていることにしている。

で、陽気なみいさんは来年度もクラス委員をしようかと
思っていたのだけれど「代表委員」(PTA役員みたいなやつ)を
やってくれと言われてしまい笑ってごまかした。
代表さんはみんなに指図しないといけない立場なので
それは私には無理なのよ。
言われたことはできるとしても私の言動にないもの、
それは「臨機応変」なのだから。

この「臨機応変」というやつを、どれほど願ったことか。
人からも、どれだけこの機能を迫られたことか。
そして、どれだけ挫折したことか。
で、最近になり、自分には「臨機応変」および
「リーダーシップ」機能がついていないと思うことにした。
そう思うとすごく気が楽になったのよ。
変なプライドもいらないし、自分の持ち場である
「言われた事を誠実に行う」という機能が
フルに活用できるようになったのである。

努力をしなくていい、と言っているのではない。
(実際、言われた事を誠実にこなすのは、私にとって
相当な努力をしなくちゃならない)
でも、与えられた賜物はそれぞれ違うし、それをお互いが
認め合い尊重しあわなければと思う。

今まで「あんたにはこれが足りないのよ」と言われ続け
「だから足りるように努力しなさい」と忠告された。
そうなんだと努力しても足りないままだったので
やっぱり私はダメなんだなあ、と思い続けていた。
もっと努力しなくちゃいけないのに、自分は努力することも
きっとできないダメダメな奴なんだと。
(ここで円形脱毛症をこさえる)

でも、「コレが足りないってことは、アレは足りてるんじゃ」と
思い直すと、そっちを高める努力をした方が
話は早いんじゃないかと思うようになった。
たぶん、かなり、話は早くなったと思う。

こういう考えは自分を甘やかしてしまうデメリットもある。
権利ばっかり主張して義務を果たさないってヤツ。
例えば聖書の言葉で「あなたは私の目には高価で尊い」とあるけど
この言葉の意味は「それだけあなたはかけがえのない1人の
存在であるからこそ、その存在を十分に輝かして欲しい」という
大きな期待も含まれていると私は思っている。
その期待を重荷ではなく喜びをもってつかんで欲しいのだけれど
自分という存在を輝かせるための努力は、それぞれにゆだねられている。
何もしないまま甘えて殻に閉じこもっているだけでは
その人の尊さが現されないまま終わってしまうものね。


2003年01月29日(水) 寝言 / いろいろ興味はあれど

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