ぼんやり日記
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2003年01月01日(水) 羊の話

今年は未年、ええと羊だとか。

聖書に羊はいっぱい出てくる。
昔、ユダヤ人(およびそのご先祖)は放牧民族だったので
羊を例えにしたお話がいっぱい出てくる。

教会で聞いた羊のお話。
羊は弱い。
普通、自然界に生きる物は何らかの武器を持って暮らしている。
草食動物でも、サイは大きな角を持っているし
キリンは遠くにいる敵を素早く見つけるためのあの首、足がある。
概して草食動物は足が速いものだ。

さて羊。
鈍足。のろのろ。しかも方向感覚がなくてすぐ迷う。
角。あるにはあるけど先がまる〜くなっていて
戦うためにあるとは思えない。ぜ〜んぜん役立たず。
可愛いだけ。ただ可愛い。
彼らが頼るべきものは羊飼いだけ。
羊は羊飼いの声をよく知っている。もし羊飼いの声を聞き逃したら
迷い、さまよっているうちに敵に襲われてしまうから。
決して羊飼いから離れては生きていけない。

わたしはよい羊飼いです。(ヨハネによる福音書10章11節)
主は私の羊飼い。    (詩篇23編1節)

私達はなんだろう。
虎や獅子のように強い大きな武器を持っていると思うべきか。
私の力で人生を乗り切っていくことができるのだろうか。

聖書の中にクリスチャンの武器が登場する。
諸刃の剣より鋭いものや、この世の最大の敵である“悪魔”に
立ち向かうことができるものがあるという。
弱い羊は羊飼いによって強くされる。

結局、とても西欧的なこの考え(思想的、政治的、慣習的)は
日本人にはなじめないかもしれないけれど
聖書を長いこと読んでいて、少しずつわかってきた。
自分が弱いと認めることは決して自分を卑下することではないし
神様に自分をおまかせすることは、全てをコントロールされ
ロボットになってしまうことでもないということも。

新年が明けました。
おめでとうと言える人もいらっしゃるし
そういう気持ちになれない人もいらっしゃるでしょう。
これを読まれた方々の上に祝福がありますようお祈りします。


2002年01月01日(火) おもち・おもち・おもち

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