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■ ボク
=ボク=
気持ちの良い夕方を歩いていくのは、それが彼女にこてんぱんにフラれた次の日だったとしてもなんか嬉しくなってくるもんだとボクは思う。別に綺麗な夕日が見えなくても良いし、虫の音が聞こえなくたっていい。ちょこっと涼しくて、ちょこっと夕方な雰囲気が匂ってたらそれで十分。赤ちゃんの小さな靴下が干してあったり、大きく開いた窓から四畳一間の部屋に扇風機が回ってたり、そんなの見えちゃったらウキウキしない?
ちょっとも動きたくなくなってしまうこともあっていいかな、って思うのは惰性だろうか?イスに座って、なんとか体育座りをしてみたら、急に世界がちっちゃく見えてきたから全く動きたくなくなってしまった。
「糞野郎だよ、おまえ」言ってしまってから多少は後悔するものの、別に訂正する気は全くない。別に実際関係ないことだしね。一人でやっていこうとか本気で思えば何とかなる。とりあえず、今は、何か本を買って読みたい気分なんだって。ちょっとでも洗練された文章を読んでいりゃ、腹立たないですむからね。洗練された音楽って何度聞いても飽きないけど、洗練された文章はなんでか限度があるきがする。音楽聞くみたいに、何十回ってリピートして本読んだりしたら絶対ゲロ吐いちゃうね。
頭がおかしいんじゃないかって自問してみたりするけど、そういうのってあんまり意味がない。どうしてかっていうと、もしおかしかったらそんなの考えたって正しい答えは出ないだろうし、というか、おかしいって意味が分からないじゃないか。
実際ほんとに、どうでもいいんだって。このまま動かなくて死ねるって思うんだけど、どうだろ?試す気も起きないや。だから、そういうことじゃなくて、ボクはこのまま時間が止まればな、って思う。ボクを残して止まるんじゃんなくて、ボクも一緒に止まるわけね。実際それは意味ないかもしれないけど、もちろん時間止まってる時はボクの意識も止まってるから実感としては普通に流れてるのと同じだろうけど、気分の問題だよ。気分の。そういうのってあるだろ?
死ねるときに死んでおかなかったことをいつも後悔するんだけど、やっぱりなかなか死ねない。そりゃそうだ、だってボクは首をつるための縄を買うのだって、手首を切っちゃうのだって面倒でやりたくないからね。でも、だいたい、そういうこと思うのって、気怠い昼下がりだったりする。
そういうのってホントに嫌いなんだよ。だから、さ、やめてって言ってるじゃん。別にいいんだよ、べつにいんだけど、そういうのってやっぱ許せないことなんだよね。ふーむ、確かに、それくらい、君の勝手かもしれないよ。でもさ、そういうのってホントにイヤなんだって。だから、やめて、っていってるじゃんか。
2004年06月01日(火)
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