『ナラタージュ』 島本理生 (角川書店) - 2005年04月15日(金) 『あなたはいつもそうやって自分が関われば相手が傷つくとか幸せにできないとか、そんなことばかり言って、結局、自分が一番可愛いだけじゃないですか。なにかを得るためにはなにかを切り捨てなきゃいけない、そんなの当然で、あなただけじゃない、みんなそうやって苦しんだり悩んだりしてるのに。それなのに変わることを怖がって、離れていてもあなたのことを想っている人間に気付きもしない。どれだけ一人で生きてるつもりなの?あなたはまだ奥さんを愛しているんでしょう。私を苦しめているものがあるとしたら、それはあなたがいつまで経っても同じ場所から出ようとしないことです』 前作『生まれる森』が芥川賞候補に上がった時、残念ながら他の若い同世代作家(綿矢さんと金原さん)が受賞された。 選考委員に先見の明があったのかどうかはここでは語りたくないが、自分の作品スタイルを若くして構築されている島本さんの実力を深く認識された読書好きも多かったはずである。 私も“5年後10年後どんな作品を書いているのか?”と興味を抱いたのであるが、なんと1年後に本作で若手作家から実力派作家いや“純愛恋愛小説の第一人者へと大変身を遂げた”と言っても過言ではないような大作を上梓してくれたのである。 本作は芥川賞の枚数を超越して果敢に島本さんが挑戦し見事に描き切った“恋愛小説の王道作品”だと言えそうだ。 主人公の泉は20歳の女子大生。 物語は高校時代の演劇部の顧問である、葉山先生からの後輩たちの卒業公演に参加してくれないかという電話で始まる。 こうして2人の再会は始まったのである・・・ 自分の気持ちに素直になるってむずかしい。 もしこの作品を読まれてたとえばあざといとかつまらないと感じ取った人がいれば、その方は“純愛小説が根本的に合わない人”か“物事を斜に構えて考えている人”か“一生ひとりの人を現在も愛し続けることが出来ている幸せな人”このいずれかであろうと思ったりする。 主人公と同年代の方が読まれたらことさらに強く共感出来るはずだ。 同年代で現在恋愛をしていない人がいれば、こんな素敵な恋愛をしてみたいと思うことであろう。 主人公以上の年代の方が読まれたら、懐かしい自分の過去を想い起こしたり、あるいは今の自分のそばにいる人をないがしろにしていないかを考え直す絶好の機会となりうる恰好の小説だと言えそうだ。 男性読者が読まれたら、もし人生をやり直せるなら、主人公のような子から愛されたいと思われた方も多いであろう。 とりわけ、“ラストの清々しさ”と作中の“痛ましい三角関係”が読者の心に永遠に残るのである。 島本理生21歳。主人公と同年代の本当に人生において多感な時期を生きている。 若さが最大の武器である点は明らかである。 なぜなら彼女の人生も小説も“現在進行形”であるからだ。 たとえば40歳ぐらいの作家が20歳前後の主人公を描いた場合と比較してほしい。 はたして本作のようにリアルな恋の痛々しさを描写出来るであろうか? 答えは本作を読み終えた方なら誰でもわかるであろう。 若さゆえの特権である、傷つけ傷つきながら成長できる。 それが人生においてきっとバネとなるからだ。 本作の登場人物は総じて“不器用”な人が多い。 恋愛をしている時って、あなたも自分が不器用だと感じませんでしたか? 島本理生は読者にそう問いかけているように感じた・・・ 読み取り方によれば、葉山がずるいと思って読まれた方も多いんじゃないかな・・・ 恋愛小説は読者のその時の状態(年齢・性別・恋人の有無・独身か既婚かなど)によって受け止め方が違ってくるのは間違いないところである。 果たして人は“一生一人の人を愛せないのだろうか?” 私的には葉山と泉、お互いにお互いを大事に出来、成長できたと捉えている。 本作は恋人・夫婦間で回し読みして熱く切なく語り合って欲しい一冊である。 私にとっては恋をすることの素晴らしさを教えてくれた、心に突き刺さる1冊であることを吐露したく思う。 評価9点 オススメ 2005年32冊目 ...
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