『幻世の祈り 家族狩り第一部』 天童荒太 新潮文庫 - 2004年06月03日(木) 《bk1へ》 新潮社:作家の声を聞くへ 重松清の作品は“リアル”だが、天童荒太の作品は“生々しい”! 今年の最大の話題作と言って過言ではない“新・家族狩りシリーズ”の第1巻を手にとって見た。 オリジナル版(1995年刊行)は読んでないので比較出来ないのは残念であるが、物語の圧倒的な吸引力に読者も度肝を抜かれる事は間違いないかなと思う。 家族小説作家としては直木賞作家の重松清が有名であるが、重松清と天童荒太の作風は一線を画する。 例えて言えば、重松清の作品は“現実を直視しなければならない!”が、天童荒太の作品は“人間を直視しなければならない!” この差はどういうことかと言えば、重松作品は“身近というか生きて行く上で避けて通れないもの”を題材として読者に対して“応援歌”的な意味合いで語りかけているのであるが、天童荒太の作品は読者にもっと厳しい。 題材的にもすべての人が身近と考えられないものが多くて息苦しく感じられるかもしれない。 ただ、天童荒太のいい点はいっさい妥協をしていないところである。 重松清が“今に生きる日本人の家族”を描くのが秀逸なのと同様、天童荒太は“人間というか人類(普遍的なものとしての)”を描くのが秀逸である。 そこに“視野の広さ”を見出せた読者はきっと大きなプレゼントを得たこととなるであろう。 物語は予想通りと言うか予想以上に重い。 登場人物は高校教師・巣藤浚介、刑事・馬見原光毅、児童相談センター所員の氷崎游子の3人がの中心。 物語はまだまだ序盤、平凡な女子高生・亜矢の障害事件によって上記の魅力的な登場人物が交錯したところである。 天童荒太の描く魅力的な人物ってそれぞれが“心に傷”を持っている他ならない。 それはきっとより“人間らしさ”を表してくれているのだろう。 第1部では馬見原刑事の過去のいきさつが1番丹念に書かれている。 多少なりとも馬見原刑事の心に潜んだ部分が読者に受け入れられた気がする。 ラストの家族の変死体がとっても印象的かつ象徴的だ。 きっと物語り全体を支配して行くに違いない。 これからどんな悲劇が待ち受けているのであろうか? でも最後まで読んで少しでも成長できたらと思いつつページをめくれる幸せを噛みしめてレビューを書いている私がここにいることは書き記しておきたい。 評価は全5巻読了後 2004年52冊目 (新作37冊目) ...
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