『疾走』 重松清 角川書店 - 2003年08月31日(日) 『なんなんだこれは?』という帯の文句が乙一さんの作品であったが、まさしくその言葉はこの作品にふさわしい。 今までの重松さんの書いてた領域をはるかに越えた意欲作だ。 最初は平凡な地方の中学生から始まる主人公シュウジ(一家と言った方が適切かな)の悲劇の人生を描いている。 途中本当に辛くって一度中断した。 まるで内臓が抉られそうな話だ。 どんな感じかちょっと引用したい。 “ああ、そうか、とおまえは気づく。赤ん坊は、生まれるときに母親の血を全身に浴びて外の世界に出てくる。にんげんの人生は、血まみれになることから始まるのだ。”)(本文より) 重松さんのターニングポイント的作品といえそうなんで、内容はもちろんのことどういう意図で書かれたかに留意して読んでみた。 まず、掲載雑誌(KADOKAWAミステリ)からして、若年層の読者を獲得しようと思われたと考えられる。 徹底的に人間の弱さを抉りだした本作の“短い人生を疾走した主人公”に共感できるのは柔軟に物事を受け入れれる独身世代の方だと思う。 氏の代表作の『流星ワゴン』や私のお気に入りの『幼な子われらに生まれ』などはどちらかと言えば既婚で子供がいる方の方がずっと感動度が高いと信じて疑わないが、本作に関しては逆だろう。 若い方だと純然と青春小説として読めるかもしれないと思う。 逆に、人の親になった方が読まれたら(子供の大きい小さいにもよると思いますが)、受け入れにくい面があるような気がする。 それは“うちの子はこんなんじゃない”とかいったレベルじゃない。 すでに子供さんが大きい方なんかは引き戻せない。 “やり直しが効かないのが人生だ”って誰もが悟っている。 お子さんがいらっしゃる読者の方ってもっと小さなことを大きく悩んでるのが大多数じゃないかなあと思う。 私もそうなんですが(その結果、後半の東京に出てきてから以降は2回読みました)どうしても否定的に捉えがちでした。 単に性描写がキツイとかそう言った問題じゃなくって“あえて、こんな作品を書く必要があるのだろうか?”あるいは“重松作品の特徴である、ラストでの前向き度があまり見られない。”と純然たる疑問が湧いた。 そう思われる方も多いと思う。 でも全編にわたって救いがない話ではない。 後半シュウジやエリにエールを送ることが出来たのは正直ホッとした。 でも主人公があまりにも若いので(15才)、心の動きがわかりづらかったのも事実である。 言い訳がましいが、奥が深い作品なんで内容に関してはちょっと感想が書きにくいのが偽らざる気持ちである。 聖書の部分も読み返したがちょっと理解し辛かった。 でも私の結論は“あまりにも主人公に重荷を背負わせすぎて痛々しすぎる”と言う事に帰着する。 私は重松さんの作品の魅力は概して“大いなる共感”と“強いメッセージ性”の2点だと思っている。 現在のファン層では前者の理由で読まれてる方の絶対数の方が多いと思う。 私もどちらかと言えば前者の理由で読んでるのだが、本作に限って言えば後者向けかなあと思った。 そこが若年層向けたる所以かなあと思う。 正直言って、従来の重松さんの読者が求める作品じゃない気がする。 少なくとも私はそうだ。 “切なくってほろずっぱい”話を読みたい。本作はそれを通り過ぎて“悲しすぎる”のであるのが残念だ。 でも作家も変化している。ファンも受け入れなければならないのだろうか? つくづく重松さんの作品ってゆっくり“『疾走』じゃなくって『徒歩』しながら読みたい”なあって強く思った。 本当にこの作品を高く評価できる人って羨ましいなあってちょっとジレンマを感じたが皆さんはどうでしょうか? 評価7点。 関連リンクコラム“重松さんと横山さん”へ 関連リンクコラム『疾走』と『哀愁的東京』へ ...
|
|