2002年06月22日(土) |
やほい原稿は娘か息子か |
…というお話ですが。
あたくし的にも「息子」のはずだと思いつつ なぜ「娘」と表記するかといえば。
どういうわけか 作者のあたくしが 作品にとって 「母親」というより「父親」のような気に なってしまうからなんですね。これが。
母親が娘を嫁に出す時は それほど淋しい思いはしないことが多いそうです。 結婚しても娘は娘。 やがて自分と同じように母になり 自分の苦労もわかってくれるし。 やがては母の分身にようになっていくわけよ。
父親が娘を嫁に出す時の方が 淋しさ倍増なんですね。多分。 自分とは違う人間、性別。 どこまでいっても自分の分身にはなりえない。 一人前に育てて 嫁に出すのは嬉しいが これで他の男のモノかと思うと… ってな複雑な気持ちで つい 「辛かったらいつでも帰って来い」とか言ってしまう。 (ちなみにあたくしは父親にそんな事 言われた覚えはないですけど(^^;)… あ、誰も聞いてないわね)
母親の立場で息子が結婚するのは もうちょっと なんというか 複雑すぎるものがありそうでしょ。 よほどの人格で無い限り 死ぬまで嫁と息子を取り合うようなハメに。
父親と立場で息子が結婚するのは もっとさばさばしてるような気がしますのね。
こういう考え方の元、 原稿を編集部にお渡しした時、 「娘を嫁に出した父親ってこういう気持ちなんでしょうねぇ」 としみじみ思ってしまうのでございますのよん。
ひとさまにもらって頂けるまでに 立派に育てたぞ、という満足感と でもほんとに立派に育っているのか?という不安と 辛い事があったら いつでも帰って来い、という 未練たらしい気持ちと。 漫画原稿にとっての『辛い事』って どういうことなのか知りませんけど。
自分の作品に対するスタンスは まな娘を見守る まともな父親ぐらいが ちょうどいい。 という気がいたします。
それでつい、「娘」と言い、 「嫁に出す」と言ってしまうんですね。
「いい編集部にもらわれて 読者にも大事にしてもらえよ」 という父の切なる願いから。
あ、今わかったわ。 「原稿にとっての辛い事」
誰にも面白いと思ってもらえないこと....
きゃああああ それは父にとっても辛すぎる〜〜〜
いい子に育てるために こんなとこで日記描いてないで 教育してきます。。。。
...教育っていうより調教だったりして。。。
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