Kyoto Sanga Sketch Book
DiaryINDEXpastwill


2005年08月07日(日) 元京都選手のこと〜故郷へ

「世界へ」に続いて

5月。J1を1部リーグとすれば国内4部にあたる地域リーグ、
将来のJ入りを目指す地方クラブ同士の対戦していた。
姶良町のメイン側しか客の入れないような、小さな田舎のスタジアム。
隣のグランドの少年野球のアナウンスに場内アナウンスが被る。

上半身裸のアウェイサポーターが芝の上、ゴール前の選手に向かって指差した。
「いるよ!あの14番!チーム事情でセンターバックしてもらってるけど。」
彼の本職がサイドバックであることは、皆知っていた。






また昔話になって恐縮ですが、
今でいう女性限定「選手とティータイム♪」(私は参加経験無し)の前身企画も楽しかった。
ファンクラブ主催の茶話会との名目だったはず。

友人が選手にサイン帳を回して一言づつ書かせていた。
仲が良い選手が『恋』と書いたのを見て、”だったらこれしかないでしょ”と『愛』と書く選手。
「時期なんで『メリークリスマス』でもいいですか」と聞く選手の次に、
何を思ったのか『クリスマスツリー』と丁寧に記す斉藤。

茶話会中、斉藤に笑える突っ込みをいれていた選手にもサイン帳が回ってきた。
あまりの明るさに、その選手が前日に戦力外通告されたことも忘れて、
笑えることを書いてくれるんじゃないかと期待。少し時間が過ぎた。

困っている選手に、娘さんのかわりに来られたという女性が隣からアドバイスした。
「『一生選手』というのは?」


翌年。
J2に上がったばかりの対戦相手のサイドバックに
ゴールをアシストするその選手がいた。

その2年後。
現役をあきらめて引退したらしい、と残念な噂を風の便りに聞いた。
それからまた1年。





2005年5月。
姶良運動公園、九州リーグ。
ヴォルカ鹿児島vsニューウェーブ北九州の試合が始まった。
地元のおじさん、おばさん、子供たちといった近所の人たちと、
お互い10人程度のユニを着たサポーターたち、そしてサッカーファンが
スタンド席で見ていた。点が入るたびに歓声があがる。

ニューウェーブ北九州は、中盤でよく球を拾う。
よくトレーニングされている若い選手たちが
常に連動して動きながら、ボールを回していた。後ろの守備陣の負担は軽そう。
ヴォルカ鹿児島は中盤の起点をかなりを押さえ込まれていた。
苦し紛れに放り込まれるロングボールに、最後尾の14番は無難に対処してた。

北九州3−1鹿児島 負けた。

この日はちょっとヴォルカが…だったけど、
基本的に九州のレベルは地域リーグの中では高いんじゃないかな、と思っている。
京都で見ていた経験から、JFLの下位と比べてそう酷くは遜色ないんじゃないかと。
去年の天皇杯の成績をみても。

で、ここでは元Jリーガーは救いの神。てかそうあって欲しい。
地元出身である選手は胸ロゴのスポンサーである地元企業に就職したそう。
(地元メディアで街紹介をしたり、と忙しそう。)

この辺りの出身である田原の実家店を探しているついでに、
競技場にいる間に、スーパーで買った貢ぎものを渡してもらった。

大声が目の前の小さなロッカールームから響いて来た。
「ボンタンアメ、ゲットー!!!!」
「ゲットぉぉぉぉ!!!」
…いやあ相変わらずのパフォーマンスぶり(滝汗)
みなさん着替え中なので、中を覗くことはできません。。


世界へ地方へ、選手たちは散らばっていて、
そのうちのたった一人の話です。




ご機嫌だったアウェイサポーターたち、北九州ナンバーの車たちが帰っていく。
反対に、地元鹿児島のオバちゃんたちの声。「もうちょっと練習せんとねー。」
なんかその素朴で非常に正しい感想に笑ってしまう。
練習時間を捻出するのが大変なチームがほとんど。
ヴォルカのサポーターに少し挨拶して私も去る。
地域リーグのチームは地元でもまだマイナーな存在のことが多い。



山崎、というサテライト選手を覚えている人ってどれくらいいるのかな。
「一生選手」と書いてもらった友達にメールした。
「あの選手は現役復活しました。元気です。やられました。。」


miyako |MAILHomePage

↑エンピツ投票ボタン
My追加