Kyoto Sanga Sketch Book
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2004年06月12日(土) |
【仙台戦第17節】〜一番長い三日間。解任辞任、そして柱谷(兄)就任 |
あれはシーズン始まったばかり、勝利したシーズン第2節のこと。
「京都は…こんな勝ち方をしてはいけないですよ…。 J1復帰後まで見据えた試合をしなくては…。」 勝った故郷のクラブチームに対して、元J2監督が言いにくそうに解説していた。
「だったら貴方が来てくれたらいいのに」
解説の回を追うごとに、 あの人を監督にできないのか、と言う人たちが増加していったような気がする。 今更そんな事。3年前からあの才能を欲しがるチームはたくさんあった。 去年の夏にも。無理ならヘッドコーチでもいい。
「でも、今の京都の体制じゃ、来るはずないか、な」。
それから3ヵ月後、6月12日に迎えたのは仙台戦。
この日も京都は「個人で守って個人で攻めて」いた。 ヨンスが怪我から復帰したにもかかわらず、 得点は前半のDF悟のフリーキックのみ。
GK弘司がゴールの前でキックしようとしてボールを地面に転がした。 その時、まるで静止画像の中、一人仙台の佐藤寿人だけが動き、 後ろから走り込み、地面のボールを弘司の目の前でさらった。
次の瞬間、無人の京都ゴールに球は叩き込まれネットが揺れてしまった。 2失点目。 地面を叩くGK西村と彼に声をかけないイレブン達が映る。
京都1−2仙台。ホームでの敗戦で8位に。
試合終了後、サポーターからはブーイングはなかったらしいです。 涙目の19歳のGKが、まるで全てを自分が被るようなインタビューを残していた。
翌日
西村監督解任。 その責任をとって、木村文治総監督辞任。 (併せて(株)京都パープルサンガ常務取締役も辞任)
翌々日
柱谷幸一新監督就任。
古い秩序が壊れて、新しい秩序が生まれる時、 不安より期待が大きい(特にそれを望んでいた人が多かった時は、ね)。
サポーターが驚いたのは監督より文治さんの辞任。 これで今までのフロントが真っ更になった。実質的刷新。 GMも強化部長職も置かないとの話もありますが。 でも、他サポが思うほど京都サポが不安を感じてないのは、 稲盛名誉会長の人柄と視点、 そして柱谷新監督への監督として、そしてGM的能力への信頼なんでしょう。 そこは、まだ様子眺め。追々。
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