Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年09月04日(木) MF松井大輔 〜京のファンタジスタ For reachs of da sky

Get your hands up wanna be!
Get your hands up Fantastic!
For reach of da sky

(Fantasista/Dragon Ash)


あの時、鹿実の赤い10番が
サンガの10番になり、いつしか代表サックスブルーの10番になる事を願った。
あの頃、それは突拍子もない夢だったかもしれない。








1999年冬。高校選手権に1人のファンタジスタがいた。
家の事情で鹿児島からそれを見る事ができた。
その繊細で優雅なテクニックを「京のみやび」と名づけたのは関東の友人。

彼がボールに触れると、ボールの重力は半減する。
走るとたった1人で相手イレブンの全てのリズムを崩す事ができる。
味方との短いパス交換、敵の入れて来た体さえまるで自分の呼吸の中。
田原がマスコミの集中的な視線を集める中、
メディアはこのMFともFWととも言えない少年をどう扱っていいか困っていた。

鹿児島実業の10番は京都出身でした。それは大層珍しい事。
(後で彼に九州の血も流れている事を知ったのだけど)。
既に京都に内定していた。
解説者の李が呟いた「京都ですか・・・。そうですか・・・。」←何か納得がいかったらしい。。




その半年後、Jリーグ柏戦。テレビに映った彼を見て唖然。
その彼は、プロを相手に意気揚々と楽しげに高校時代と全く同じ事をしていたから。

迫る洪明甫の身体が彼の呼吸の中に吸い込まれていた。
襲って来る三人の敵を、柔らかい体と球がすり抜ける。
パスを引き込むような位置で球を受け取り、南のいるゴールに何度もシュートを打つ。

Tricky & Freaky breakin' Who da beat!
Up and down
Lily is in da "Run and Gun" Go!

でもチームは勝てない。この日も延長負け。
高校時代とは違い、守備に追われる事も増えていました。

・・この頃は「田原がいれば」と思ったり。本当に揃ってしまうってねぇ。


高校生達でさえ続々と選ばれるユース代表にも招集されず、取り残されました。
評価するのは、サンガのサポーター、対戦チームのサッカーファン達、
そして俊輔ファンの一部だけ。

ユース代表合宿を途中で返される彼に「その方がいい」と言うサポーター達。
(地元出身の彼は「京都の王子」として迎えられていた。しかもレギュラーだし。)
思わず「松井を第二のグっさんにするつもり?」と文句。
野口ファンの失笑を買った覚えが。

だって、京都の中だけで終わらせたら今までの選手と同じになってしまうもの。
代表経験はチームにも還元されるはず。






・・・でも、夏が過ぎ、期待の新人は勢いを失う。
サテライトの試合の背番号は、登録とは関係なくつけられる。
夕暮れの光の中、偶然紫の10番をつけた選手が異常な存在感でした。
ファンタジスタの番号が今までの全ての記憶を呼び起こす・・・。

何故か涙が出てきそうになった。
彼に涙した訳じゃない。彼の背中に涙した。

大袈裟?そうだよね。
でもその時日本にいる、世界にいる10番達が心に押し寄せて来た。
私自身は守備的な選手の方が好き。でも彼らは皆特別だった。
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
唯一無二のファンタジスタたち。

なぜか重なった。
今まで好きな選手はいる。でもそんな問題じゃなかった。

このサテライトの少年が、クラブの10番になり、
いつしかそれまで超えて代表ブルーの10番になって欲しいと初めて願った。






翌年2001年。事態は急展開。
J2サンガの平均年齢は20歳。19歳の指令塔にその番号が回って来た。

「本人重荷になってないだろうか・・・」
「大丈夫じゃない?」
本当に大丈夫そう。明るい男。やる気はあったはず。


しかし、引いてくる「格下」相手のリーグで多用したのは中盤省略のサッカー、
そして監督が求めたのはよりシンプルなサッカー。
勝ち続けるチームの中で、若き「10番」はチームの中の居場所を探す事に。
主力になりきれないエース。


ところが2002年。U21招集。
いきなり世界の強豪国の集まるツーロン国際大会で
「ベストエレガントプレーヤー賞(準MVP)」受賞。
あまりに相応しい賞(笑)。万歳!というより、
「でしょう?でしょう?」と嬉しくてニヤニヤしてしまう。

黒部・朴との3トップはリーグ最高レベルの攻撃陣でした。
彼のドリブル、局地的な判断力は冴え渡る。
立命館大学経営学部入学。御大層にも!10月10日10時10分に入籍。
そして天皇杯優勝。
サンガにとって、松井にとって、何もかも順調な年。

だから言ったじゃん。代表で強敵と戦えば逞しくなれるって。
ナイジェリア帰りの時の手島達や、代表に招集される毎に逞しくなる智星と同じだって(たぶん)。


そして迎えた2003年。
海外クラブの為招集を見送られた俊輔に代わり、
ついにA代表の10番になってしまわれた。

全部正夢になった。どうしようか。。

雑誌に彼の名前や顔が踊るようになり、全国で彼への評価が高まる。
海外チームからの照会が続く、と報道される。
サンガの記事は彼の取材が中心になり、ニュースでは彼の視点で試合が流れる。

気が付くと、「世間」と「私達サンガサポ」の評価は逆転していた。
「松井大輔っていうのは凄く才能がある選手なんだよ」
代表サポ達が言う。

彼の才能を、いろんな人と共有できるのは嬉しい
以前の事を考えるとね。
しかし、時々セレッソ戦のような光をみせるけど、
今年、彼はサンガにとって攻撃のオプションの一つでしかなくなってしまっている。

実は、J2降格自体はそれ程問題じゃない。それより選手が抜けるのが辛い。
しかし今、黒部手島が抜けるのは痛いが、松井が抜けるのはそれ程痛くない。

それって彼を京都に迎える時に求めていたものだろうか。。。



A代表戦の国際中継。
まだ飛び入り新人の彼にボールは回って来ない。
しかし、遠藤が何度も何度も彼に渡そうとする。それはあのデビューの年と同じ。
彼はまた新しく動き出そうとしている。

「えっ?もう22歳?」「だよね。」

高校時代からほとんど変わっていないプレースタイル。
でも、今チームにプレーで溶け込めない中で模索しているよう。
J2の時とは違いちょっと遠い人になったけど、嘘か実か情報だけは多い。
そして内容は前向き。



相手を飲み込むのは1人じゃできない。
託されているのはもっと大きなこと。
真の意味で自立したサッカーがみたいよ。松井大輔。





サッカーダイジェストの付録、彼がたった1人映っているポスターをみてそう思った。
あの頃あんなに願った、
サックスブルー「10番」のユニフォームが眩しすぎる彼に。






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