Kyoto Sanga Sketch Book
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2000年09月01日(金) |
エンゲルスサンガの初戦 |
※2003年夏、ゲルトの解任で思い出した試合。
2000年 2ndジェフ戦。 ゲーム終了の瞬間、その小柄なドイツ人は両手を挙げた。 ベンチのスタッフに換わる換わる抱き着き、地面に落ちた。 相手は前年に解雇されたチーム。
そう、あの時、一番喜んでいたのは監督だったなぁ。 選手達より、サポーター達より。 緊張の糸が切れた子供のようにはしゃいでいた。
忘れもしない、エンゲルスサンガの初陣は凄まじいプレッシャーの中で行われた。 ノルマは10勝。 まだ彼は臨時的監督としての「勢いで優勝したフリューゲルス天皇杯」しか実績がない。 しかも前チームでは監督としての資質を疑われて解任。 京都での就任は加茂監督の急な更迭で後任でなり手がいなかったから。
木村文治GMが総監督という地位についたのも、実績のない彼に任せられないから、と皆思った。 「貧乏くじ」。あのフリューゲルスの時と同じ。
西京極での試合前日、ゲルトは京都の某ホテルで合宿を行ったらしい。 そこでどんなミーティングがあったのか。 そのゲルトの気合が効いたのか、選手も必死。 システムは加茂サンガを放棄、カズとヘジスの2トップに智星、遠藤、野口の3ボランチ。 手島らを中心にした3バックは変わらないが、とにかく守備的にいく「はず」だった。
・・・まぁ、いいや。その日は選手達は全然守備的じゃなかった(笑)。 ゲルトも苦笑していた。 監督の気合が効き過ぎたらしい(笑)。
数ヶ月後、降格決定で観客に向かって彼は「ゴメンナサイ」と謝っていた。 「お前のせいじゃないぞーー!」と声がかかった。
しかし、この元高校コーチは変わった。 彼は育成「コーチ」であって、「監督」にはなれない、という下馬評を覆してしまった。 J2では「勝利」に拘り相手チームに合わせた安全サッカー、 翌年J1では、超攻撃的サッカー。不運も幸運もあった。 しかしそこには多分「監督」としての成長がもあったはず。
でも、月日は流れ、いろんな不運が重なった。 いろんな事がうまくいかなくなった。 私的には、あの愛らしいたどたどしい日本語まで、 微妙なニュアンスが伝わらない言葉なんじゃないかと思ったり。
ゲルトの心はチームに伝わっていたのか。
あれから4シーズン目、エンゲルスサンガの終了。 その終止符の打ち方には賛否両論。私もわからない。
ただ・・・外からどうこう言うのは、 子供不在で教育論を語る大人達を思い出すから…言わない。 監督交代の是非が判断できるのはまだ先。
ただ、次の監督抜きで中断期間を過ごすのはあまりに危険じゃないのかな。
2003年夏
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