薔薇抄 *Rose Show*
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2011年09月11日(日) 悔いの残らない服を選んで

まだ暑いけど、真夏すぎる服を着るには気が引ける9月ですね。
この時期本当に着るもの難しくて、毎年困ってる気がしますが。
季節感。
とても必要なものだと思っています。
着物を日常的に着ていた頃は、着物や帯の柄に季節の風物詩を織り込むのが常で、しかも季節を先取りするのが粋とされていたそうですね。
本当に盛りの時期には、本物の花に遠慮してその柄は避けたとか。おっしゃれ。

たとえばこんな季節に、頭にサングラスをさしちゃってる系の大姉様などが、タンクトップにスキニーにピンヒールで(なんならバーキンとか持っちゃって)、フォックスのファーストールを巻いてらっしゃったりとか。 
まさにそう、今日地元の駅で見かけた兄さんのように、ポリエステルサテン製のワインレッドの心色のシャツに黒く汗染みを作ってでも着ていらっしゃるのを見かけたりだとか。
そういう方に遭遇したとき、すっごくなんか胃のあたりがもやっとする。あの感覚。
結婚式で胸の谷間や腕を露出しすぎている方をはじめ、フォーマルのルールに外れた装いをされている方を見た時も。こう、もやっと。

おしゃれとは、なんぞや。と。

やはりそれは、気が利いていること以外の何ものでもないのではないかと思うのです。

装いに、場や、格や、ルールを求められることが往々にしてあるのです、大人になると。
それを正しく把握して、尚気が利いていること。
まずは人に不快感を与えず、その上でセンスが良いと感じさせること。
TPOとルールを理解し、熟知しているのはもう必須条件で、その上でしか成り立たないのがおしゃれなのではないかと。
むずかしいねえ。

好きなものを好きなように着たらいい、とは思うよ。
でもそれでは周りの人に心地よさを与えるところまでいかない。
実際、必死になって個性を誇示しなければ立っていられないと思っていた自分がいたような気がするんですが、あのひと、どこいっちゃったんだろうね?
今は昔より、手当たり次第に好きなものを着ているけど、個性云々は関係ないかなあ。
似合うものを探しているのです。わたしと、その場に似合うもの。そのときの気分に似合うもの。
あ、自分を知ってる人をおしゃれだな、と思うことは多々ありますよね。
自分に似合う色、形、丈、開き、素材、シルエット。それがうまくいってる人は見ていて気持ちが良いから、それはおしゃれ。
そうなりたいなあ。

安野先生のハッピーマニアでさ、シゲタが服がない!って騒ぐエピソードがあるのね。
いざ出かけようとしても服がない、なんでもないセミタイトスカートにツインニットを合わせるんだけど、一見あってると思いきや「上と下でジャンルが違うんだよ!」って言うの。
そんでシゲタはその変な組み合わせのまんまお洋服を買いに出かけて、「かわいい服を買わないとずっとへんな格好」っていうチャレンジに出るんですが。結局、かわいいけど手持ちの何とも合わない紫色のフリルのブラウスとかなんかフォーマルみたいなワンピースとか買っちゃうのね。
その話大好きなんだよね。なんかわたしの買い物もそんなこと良くあるけど、最近はもうとりあえず何を買ってもあわせられるもの見つかるくらいの手持ち在庫になって来たから問題ないんだけど。
ていうかそもそもシゲタみたいに、一見あってるようでいて上下でジャンルが違う、っていう、そこに気付かない、わからない人っていうのが実は多いんじゃないか、と思ってすうっと寒くなったりします。
だめだ。
服にはジャンルとか格の違いとかある。確実にある。

ブランド物とチープなもののミックスコーデ★とかファッション誌が得意げに言うから世間が混乱する。本当にそれが上手にできる人がいるだろうか?
そもそも キレかわOLの着まわし30日コーデ☆とか言っちゃって、今日は友達の結婚パーティにお呼ばれ♪とか言ってレース使いの綿のティアードワンピにファーベストとか合わせて行くって言ってる時点であんたの言うことなんて何一つ聴くかって思うよね。
お洋服屋さん自体も本当にフォーマルな装いとか、知らない人の方が多いんだと思う。
ファッションだから、時代とともに変化するのは当たり前で仕方ないのかもしれないけど、プロの方ぐらいはちゃんとしたこと知ってて欲しいと思ってしまうわたしは昭和の女ですが。
それにしたって、知らないより知ってた方がいいと思うんだよ。マナーとルール。昭和の女じゃなくても。

あとねそうそう、素材ね。
服。の、前に、素材。が 好きです。
ヴェルヴェットとベロアとビロードの違いが言えず怒られた11歳の頃から。
いや、秋冬のワンピースにピケの生地を選んで怒られた5歳の頃からすでに。
お母さん、ありがとう。娘はこんなに大きくなりました。
母が洋裁ができたので、もっぱら服は作ってもらっていたのですが。聞くも涙、語るも涙のすごいスパルタ英才教育で。服だけ。今思うと、本当にありがたいですけど。
まず、お洋服を作ってもらう時は、デザイン画を描きます。わたしが。5歳くらいから。
上記の例のほか、スカート制作のときのエピソードとしては、わたしの描いた絵のフレアーとギャザーの判別がつかないと言って怒られました。5歳。
サッカー素材の布を見せられ、「これでワンピース作るから、どんなのがいいか描いてみて?」と言われ、長袖のワンピースの絵を描いたら「こんな夏素材でそんな服作れないわよ!」と怒られました。7歳。
プリンセスラインとAラインの違いを理解できていなくて怒られたこともあったね。
楊柳、という素材名を知らずキレられたり、ツイードのワンピースに付ける襟になる生地を買って来るよう言われ、ポリエステルかなんかを選んだら何故シルクじゃないのかと怒られたりもしたね。
そんな英才教育のおかげで、デザインと素材がぴったり合ったときのしあわせを心の底から感じられる体質になることができました。
人によっては滑稽な話だろうとも思うのですが、本当にわたしはこのことに関しては母に感謝しています。
だから、結婚式にファーのボレロ着たりタイツとかブーツとか履いちゃう子を見ると、なんか胸がぎゅっとしちゃう。なんていうんだろう、ごめんね!みたいな。教えてあげられなくてごめんね!みたいなっていうか。教えてくれる人いなかったんだね、かわいそうに、ごめんね、みたいな。
昭和の生き残りとしては、そういうのをね、やっぱ次世代に伝えていかねばみたいな使命感とかはなくはない。
素材と形と場、すべてが完璧に適った上でのおしゃれが完成した時のあの快感を知ってほしい。
高価なものである必要はないけど、安く見えなかったり、値段以上に見せてくれる服ってあるから。
いやもちろんわたしもまだまだ勉強の身なのでおっかしなことやらかすこともあるかとは思うんだけど、なんつーかなあ。なんか、年取ったらすごく思うの。
ちゃんとしたいなあって。

高価なものである必要はないけど、良いものを知っている必要はある気はしませんか?
服にはお金をかけません、というポリシーの方、全然認めてますけど。
ただそういうことって、やっぱり、ピンからキリまで知っていてそうする人を信じたいっていうか。
安い服ばっかり着てたら、なんか安い女になって来た。と先輩が言ってたことがあります。
年とってきたら安いもの着てるとばれる、と言った人もいた。年取ったから本物着ないと全然肌が負ける、と言った先輩もいた。
安いもの着ててもそう見せないのが技量でありセンスだとも言われました。
その通りだと思うね。
それが上手にできてたら、きっと誰に見られても不快な感じには映らないんじゃないかと思います。

35までは好きな服着てていいよ、そのあとが正念場。と言われたのはもう3年前。
わたしは今年37になりますが。
35を二年も過ぎて、好きなもの好きなように着てるつもりでいても、やっぱりもう無理かもな、と思う服も出てきた。今季のシーバイの胸元にリボンが付いたダッフルとか。でもヴィクター&ロルフのボウタイつきトレンチは全然いける。とか。
だから、周囲に不快感を与えず、場にそぐい、素敵なファッションでいられる大人を目指したいな。と思う初秋。

だってファッションが一番楽しくなるシーズンの幕開けですからね。ねねね。

そんなこと言ったってわたしがファッションの参考にしてるのは、織る子さんとブライス。今でも。


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