薔薇抄 *Rose Show*
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2006年04月23日(日) それでも俺が好きか?

土曜日午前9時から社長を交えての営業戦略会議に参加。…だからわたしメイクアップアーティストだって言ってんじゃんよ。役に立たないまま居続けること4時間。13時、「これにて午前の部終了!2時から午後の部開始だ!」と宣言する社長に、「あの…恐れながらわたくし本日本来休日だったもので、午後2時から予定を入れてしまったのですが…」と返すわたし。一同唖然。知るか。「よし!そっちを優先しろ!」ホラ、判る人は判るんだよ。社長どうもありが!
午後も会議突入の一同を尻目に風のようにわたし退場。ロッカーで着替えて途端にパンかぶりつきの昼食。急いでますから!だって両国で可愛いあのコたちが待ってんだもーん!ってなわけで。
江戸東京博物館で開催されている、「ナポレオンとヴェルサイユ展」をシナモンさんとハニイちゃんと見学。
すんばらしい催しでございました。フランス素晴らしい。素敵。ナポレオンの頭のでかさに感動。足ちっちゃい。ナポレオン、これがほんとのと言わんばかりにナポレオンジャケット着用しまくり。これから戦闘に臨むと言うのに腰にはサッシュリボンがひらひらと蝶々結び。英雄ぶりを誇示するのに必死のご様子。だからこそ生まれた華々しい装飾品の数々に歓喜、心酔。テーブルの、椅子の猫足がかわゆくて卒倒しそう。「ガオ」ってなってんの(猫じゃないじゃん)。椅子のアームレストがキマイラ。スフィンクスか?象牙色のシャンタンに青灰色のペンタゴン模様の壁紙、天蓋のカーテン、椅子の張り地。「我、眠る」とラテン語で書かれたナイトテーブル。着物にもなりそうな真紅の絹織物。麦の穂を象ったティアラ。肖像画に描かれた、白貂の毛皮がついたローブ、表地は深紅のヴェルヴェットに金糸で蜂の刺繍。豪華絢爛に栄枯盛衰。ミュージアムグッズに至るまで(最後は何故か薔薇尽くしコーナーあり)堪能し、満足。きゃーって言いながら見たくてさ。この展覧会のポスターを先月見かけた時からずっと。分かち合える人と見たくて。だから、午前中に仕事入っても約束無理に通して、来てもらって。でも良かった。間違いなかった。一緒だといつも、素敵なものを見れる。
続いて常設展も見ました。江戸東京博。こっちもすごーーーく良かった。おもしろかった。日本橋から続く、江戸の町人街のでっかいジオラマがあってね、30分の1スケールらしいんだけど、人が4センチくらいなのね。すっっごいの。リアルで細かいの。それを、オペラグラスで拡大して見れる。もう大興奮。わたしね、ジオラマ大好きで。そんなの作り始めたらきっと世捨て人となって完全なるヒキコモリになりそうだから手を出さずにいるのですが、だからもう見出したら止まんないの、うれしくてうれしくて楽しくて楽しくて。6帖はあろうかというくらいの大きさのそれの周囲に、1メートル間隔くらいに置かれたオペラグラスの全てから町並みをつぶさに見学。わたしとハニちゃんが。わたし思ったんだけど、わたしの精神年齢、ハニちゃんと一緒くらいかも。レヴェル一緒ってかんじ。カートゥーンネットワークまだ見てるわたしは、彼女より年下なのかも、精神が(彼女はこの春、カートゥーンを卒業してキッズステーションにステップアップなさったらしい。)なんだあ、仲間じゃーんvvそれにしても彼女は本当にかわいくてかわいくて、彼女に会うとわたしも子供が欲しいような気さえしてくる始末。でも精神年齢6歳のわたしに子育ては無理だろう。駄目駄目。
沖縄料理の夕食で締めて、今日も素敵。また遊んでね。あなた、あなたたち、本当にとても素敵。

そして日曜。昨日の午前中仕事した分、今日の午後も休み。今日はnejiくんとデート。さいたま新都心で待ち合わせ。映画「リバティーン」を観に。映画の上映時間まで時間がありすぎて、さいたま新都心はわたしの興味を引くものがなさすぎて、殺人的な眠気に襲われる。本当に起きていられなくなり、車に戻ってお昼寝。…何やってんだか。1時間半ほど寝て、タリーズでコーヒー飲んで、やっと上映時間に。でもね、たぶんね、このお昼寝が良かったんだよ。寝起きの、ぼんやり加減が。ものっすごいニュートラルな、素な状態での映画鑑賞に成功。映画は、おもしろかったです。まあ、ジョニーが好きだから観たかった映画なんだけど、本っっっ当に余計な事何も考えずに観てた。映画をそのまんま体内に取り込むように。主観とか己の感情とか自分的な伏線全くなしで、ただ、ありのままを受け取るように。それってわたしには経験のないことで、ちょっと自分でもびっくり。だってね、ジョニー観ててもあっちゃん思い出さなかったんだよ!今思い出してみると、いっくらでもどっからでも、あつしだのバクチクだのに結びついて仕方ないような映画だったのに、観てる時は全然、ひとっつも。その「無」加減たるや、自分でびっくりしたんだけど、物語の終盤、涙が出たのね。わたしの左の目尻から。泣いてるんだと自分で思わなかった。その涙の意味が理解できなかった。感情から起因した涙だと思えなかった。目が疲れてるだけだと思った。その割に流れ続けるから、ああ、映画に感情が動かされて泣いてんだなーとやっと気付いたのは、エンドロールを観ながらで。何その鈍さ。でも本当に、それくらい自分の事忘れてた。そんなこと初めてだったから、なんなのかよくわからない。もう一回観た方が良いのかもしれない。自分の好きな人が、自分には興味を持てない話しを延々としてて、でもその人の事が好きだから、とにかく一生懸命、主観と偏見と先入観を持たないで、その人が伝えたい事だけを純粋にありのまま受け止めたいと思いながらその話しを聴いている、とかいうシチュエーションに似た。そんなような気持ちを、そんなような言葉で言い表すこともしないで、ただ、観てた。
ラストシーン、「それでも俺が好きか?」と何度も問いかけるロチェスター卿を、ぼんやりと泣きながら観てた。


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