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2005年02月15日(火) 望む色

 何もかも委ねるのは卑怯だ。別れるか別れないか、捨てるか捨てないか、それは自分で決めなければならない。
 愛するのは己の心だ。離れるのもまた己の心だ。ならば、離れることを決めるのもまた己自身で無ければならない。
 切り捨てる方がずっとずっと辛いのだと知っているから逃げるのか。愛すべき部分はあってもそういうのは解せない。愛想を尽かしてよい部分だと思う。

 他人事である。でも他人事でない。己には痛いほどに自分自身のことだ。
 望む色が無いのなら自分で作ってしまえば良い。それはきっと不可能ではない。非常な労力が必要であるけれども、その労力を厭わないのであればきっと不可能ではないのだ。
 望む色を作るだけの労力。それを厭わないのならば、少なくとも相手にそれだけの価値を見出しているのだ。逆に相手がそれだけの価値が無いのであれば切り捨ててしまっても良いのだとも云える。
 己は、他人の為に見返りを求めずに何か出来るほど成熟してはいない。価値の無いものに払ってしまった労力を惜しむくらいならその感情を捨ててしまう方がマシだ。そう思う。
 誰もがそう思う訳ではない。でも己はそうやって価値の無くなってしまったものに対する執着で浪費したくは無い。愛していた記憶や恋した日々が、色褪せてひび割れて行くのは理解されなかったり理解できなかったりすることより辛い。


 望んでいるのは何なのか。


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