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2004年10月19日(火) その理由を未だに僕は知らない

 バイト中、ずっと考えていた。

 「彼女、というか、相棒、なんだよね、求めてるのは。」
 だったら、何故それが女である必要があるのだろう。


 男が女にセックスを求めない、性的な関係を必要としない、しかしながら夫婦ではなく、恋愛関係である。そういう関係があるとする。
 それが女である必要が一体どこにあるのだろう。或いは、一体何を求めてその女と共にいるのだろう。

 己にとって、恋愛とは性的な関係にほぼ等しい。それは己自身が性行為というものに強い執着があるからだろうというのは常々思っている。
 他者にとっての恋愛が、どのような関係を指すのかというのは己はほとんど知らない。しかしながらそれが己の考える関係と等しいわけではないという事は勿論知っている。

 セックスに重点をおかないカップルも多いだろう。友人の延長のようなカップル。そういう人々もきっと存在する事だろう。
 己は聞きたい。友人のような恋人。ではその恋人は友人とどこが違うのか。親友と呼べる人と一体何が違うのか。
 「親友は同性で、恋人は異性」だという答えならば、更に聞こう。何故、と。どうして異性だからと言って、親友ではなく恋人になるのかと。

 明確に意識したのはここ数年だが、己はおそらくバイセクシャル的な部分を持っていると自分では思っている。己は身も心も完全な女性であるが、恋愛対象には男性も女性も同じようになりうる。そして同時に男性も女性も友人となりうると思っている。つまり己にとっては、先ほどの方程式は決して成り立たなくなってしまう。
 数年前まで、女性に対しての好きは友人に対しての好き=Likeでしかなかった。それなのにLoveだってありうるのだと分かったときに、では一体線引きはどこにあるのか、己には分からなくなってしまった。
 もうずっと何年も考えているが、未だに上手く線引きをする事が出来ずにいる。友愛と恋愛の差は一体どこにあるのか。友人にだって特別好きな人がいる。それと恋愛の違いは何なのか。

 己にとって、恋愛対象となるか否かはセックスが出来るかどうか、ということに尽きる。
 友人とセックスをしたいとかしようとかは思わない、今のところは。キスをしたいと思う事はあるが、それはセックスとは違う。キスはスキンシップだ。
 スキンシップは友人同士でも普通の事だろう。手を繋ぐ、腕を組む、肩を抱く、抱きしめる。キスはその延長線上にある、と己は思っている。ちなみにここで言っているのは「触れる」キスだ。決して舌を絡めるディープキスではない。
 消去法でそれ以外は恋愛になりうる相手、というのが今のところの己の考えだ。

 最初の問いに戻ろう。ではセックスの存在しない恋愛関係において、その相手が異性である必要性はあるのか。あるならばその理由は何か。
 己個人の考えとしては、その必要性は無い。もしそれが異性ならば、たまたまその相手との間に、告白やセックスなどの恋愛関係(オツキアイ)の成立に必要な事実が存在しただけだ。別にそれは同性とでもありうる事だ。
 客観的に言うと、同性愛者はマイノリティーであり、マジョリティーは異性愛者である。では異性愛を前提として考えた時、恋愛は異性と行うものである。恋愛関係に陥るには相手が異性でなければならない。これは絶対的に必要な最優先事項と言っても良いだろう。
 では逆に、その相手が恋人である必要性はどこにあるのだろう。何故友人ではいけないのか。両者の間にセックスが介在しないのであれば、その関係は恋人でなくとも構わないのではないか。その関係を友人ではなく、恋人と称する理由を己は未だに知らない。


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