KENの日記
 < 過去  INDEX  未来 >

2017年01月25日(水) シーボルト記念館

雨模様の中、長崎市東部にある「シーボルト記念館」に行ってみました。「眼鏡橋」が架かっている長崎の観光名所の「中川」は長崎市内を東北部から南に向かって流れています。シーボルトの住んでいた場所とその横に建てられた記念館はその中川の上流にあります。市電では東の終点「蛍茶屋」下車なのですが、アパートから歩いて行ける距離にあります。

シーボルトは出島から出てこの地「鳴滝」に病院を開設することを許されたので、日本中から医学を学ぶ人達が集まりました。日本の西洋医療・医学教育の始まりでした。シーボルトは1823年に日本にやってきましたが、禁制品を海外に持ち出そうとしたことが幕府に知られて国外追放(1829年)になります。これがシーボルト事件です。

このときシーボルトは妻の「滝」と、その間に2歳になる長女「稲」が」いました。シーボルトが再び日本に戻ったのは1859年で日本を離れてから30年経ていました。これは江戸幕府から明治政府になり国外追放措置が解かれたからです。シーボルトは決して「滝・稲」を裏切った訳ではないのですが、「滝・稲」にとっては辛い別れだったと思います。30年後にシーボルトと「滝・稲」は再会することが出来ました。事件は何となくプッチーニの「マダム・バタフライ」を思い出させます。




Ken [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加