KENの日記
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2003年05月23日(金) 今日の出来事

5月23日は私の人生の中でも忘れることのできない日になるでしょう。すこし長いですが忘れないうちに書きます。

義妹(妻の弟の奥様)が昨日亡くなり、残された家族・親戚の方たちのことを考えると、ぜひ帰国して葬儀に参列し、少しでも力になりたいと考えました。通夜が23日・葬儀が24日という連絡を妻から受けたので、22日(木曜日)の夜にスリランカを発つと少なくとも葬儀には参列できるので、帰国を決心し会社で方々の手配を済ませましたた。来週の火曜日はこちらの会社の取締役会・水曜日は年次株主総会が控えているので日曜日の午後に日本を発って月曜日の早朝コロンボに戻るという強行日程です。

スリランカから日本に戻る方法は3つあります。
1.コロンボからシンガポール経由で行く方法(シンガポール航空利用、シンガポール・成田はシンガポール航空利用)
2.コロンボからバンコク経由で行く方法(キャセイパシフィック・日本航空を乗り継ぐ方法)
3.コロンボからモルジブを経由して成田に行く方法。(スリランカ航空・ダイレクトに近い)

ここで、例のSARSの影響からシンガポール航空便はシンガポール・東京間が週二便運休(金曜は運休)。スリランカ航空便は隔日運転で金曜日は運転なし。従って、23日早朝はバンコク経由のキャセイ・日航しか選択枝はありません。これを予約したのでした。

コロンボ出発午前2時45分、バンコク着朝7時10分。乗り継ぎの日本航空は、バンコク朝8時40分発、成田午後16時40分。スカイライナーに飛び乗り、日暮里でJRに乗り換え、上野から長野新幹線で長野まで行き(約1時間半)、長野から長野電鉄線で実家のある須坂まで30分。夜9時前には実家にたどり着けると考えました。

私は、成田空港についてから、空港のスカイライナーまで走り、日暮里でも階段・改札の場所を頭の中でシミュレートし、肝心の上野駅では最短で地下四階の新幹線ホームまでたどり着く構図を頭に描いていました(この長野新幹線が曲者なのです)。

さて、コロンボのバンダラナイケ国際空港ですが、シータの旦那さんに運転を頼んで、余裕で23日の0時30分には到着し、搭乗手続きを始めました。発着案内ボードには、キャセイ航空便バンコク行きに「遅れ」のサインがあり、4:00出発となっていました。手続き窓口で確認したところ、「一時間くらいの遅れなので、8時00分にはバンコクに着く。40分あれば乗り換えは楽勝。心配するな」ということなので、午前1時30分出発のシンガポール便のコロンボ・シンガポール便を見送ってキャセイに予定とおり搭乗手続きをして、出国手続きを終えました。

出国手続きが済んでしまえば、後は飛行機の出発を待つだけです。午前4時まで時間があるので長椅子に横になって少し眠ることにしました。

しかし、午前3時ごろに周囲が騒ぎ出したことで目を覚ますと、何人かの客が航空事務員と結構激しく口論していたのでした。近くに行って様子を聞いていると、キャセイ便の遅れは相当大幅なものになるということなのです。なんと23日の午後3時出発。実に12時間後になるという情報なのです。

私は12時間このままコロンボで無駄に過ごすことはできないので、何とか別の便を使えないかキャセイの職員と交渉しました。でも彼らの説明は要領を得ないものでした。キャセイ便搭乗予定の人が詰め掛けるし、対応は遅いし(夜中なので人がいないのでしょう)、とんでもない混乱した光景でした。

結局なんだかんだあって、最終的に午後3時のキャセイ便でバンコクに行きJALに乗り換える方法が日本に行く最も早い方法だという説明を受けました。それだと24日の朝6時45分に成田のつくのだそうです。朝7時のエミレーツ航空便がクアラルンプール経由でシンガポールに行きますが、それでクアラルンプールとシンガポールに行ったとしても、その後の成田までの乗り継ぎがないのです。成田は朝の6時から着陸開始なので、夜に着く便を逃してしまうと朝まで便はないのです。

こうなったら仕方がない。早朝に成田に着けば、頑張って午前中に長野にたどり着けると算段し、午後からの葬儀に参列すべく覚悟を決めました。

キャセイ航空は、待ち時間が10時間以上あるのでコロンボ市内のヒルトンホテルに宿を取るということになりました。それに従ってひとまず空港を離れることにしました。コロンボヒルトンは私の会社の直ぐ近くなので、前日休暇をとって休んだ秘書と打ち合わせができることも利点なのです。夜明け少し前のコロンボをキャセイ手配のバンでコロンボ市内に戻りました。もちろん入国処理など一切しませんでした。

ヒルトンホテルで早い朝食をとったものの客室の準備ができないというので、ロビーで待たされます。ビジネス街に近く設備の整ったヒルトンは混んでいるので、そう簡単に空きがあるとも思えません。結局9時ごろに部屋が手配されました。私はオフィスの秘書と連絡をとり、一旦オフィスに顔を出しました。昨日の業務の後始末の手配をお願いしたあと、日本の妻と連絡をとりました。

ここでまた一大事。昔から親しくしていた叔父(母の弟)が23日早朝に亡くなったというのです。その叔父は母の弟ですが女系家族の中で唯一の男で本家を継いでいた方です。私も私より年長の「いとこ」がすべて女性であった中で始めて男だったので結構境遇が似ているのです。実際、子供がなかった叔父には随分可愛がってもらったのでした。叔父は心臓バイパス手術した後、今年3月に胃がん摘出を行い、母の話では手術のあとけっこう元気だという情報を得ていたのでした。

今、スリランカで故障修理に出しているスイス製の時計はこの叔父からのプレゼントでした。最近調子が悪かったので修理をお願いしていたのです。Vesak休暇もあって修理がはかどらず、今回時計なし日本に帰るつもりでした。なんだか叔父の病気とダブります。

この叔父の通夜・葬儀が、なんと義妹の通夜・葬儀と全く同じ日程になったのです。23日通夜・24日葬儀。場所はまだ特定できませんが、実家の須坂市近辺で行われるのか確かです。こうなってはなんとしても午後3時の飛行機に乗って日本に帰らなければと思いました。ついでに、コロンボで時間ができたので、叔父から頂いた時計の修理が終わったかどうか問い合わせ、直っていたらぜひ日本にもって帰ろうと思いました。修理屋さんの開店には時間がるので床屋にいって頭をすっきりさせ葬儀出席の準備をすることにしました。床屋さんで秘書から時計修理が終わっているとの連絡を受けたので、コロンボのペタにある修理屋に直行し時計を受け取りました。時計は元気に動いています。飄々とした叔父の顔が心に浮かびました。

コロンボでやり残したことをすべて済ませたので、ヒルトンホテルに戻り、シャワーを浴びてさっぱりしました。実際この日はほとんど眠っていないのです。12時には空港に戻るバスがくるというので昼食をすませることにしました。キャセイ便の遅れで困っている日本人四人でテーブルを囲んで昼食を取り、チェックアウトを済ませ(もちろんタダ)バスを待つことにしました。

ロビーで待っていると大型バスが玄関の外にやってきました。キャセイの関係者らしい人の話では「1時45分にバンコクからのキャセイ便がコロンボに到着する。これがバンコクに折り返すので3時には出発する」というもの。安心して12時30分ごろバスに乗り込みました。

ところがバスは一向に出発しないのです。私は睡眠不足・昼食満足・シャワーでさっぱりという状態なのでバスの中で「うとうと」しました。しかし一時間経ってもバスは出発しません。そしてやはりキャセイの人がバスの中に入ってきて「もう一度ホテルに戻ってくれ」との発言。

私は、キャセイがはっきりしないので、チケットを手配してくれた旅行代理店に状況を知らせてくれるように連絡しました。その結果「キャセイ便は欠航」ということでした。その後この欠航ニュースはホテルロビーで待つ他の乗客にも伝わり、あちこちでキャセイ担当者に詰め寄る場面がみられました。実際キャセイ航空便に何があったのか今は全くわかりません。キャセイ担当者からは一切の説明がありませんでした。

旅行代理店によると24日の早朝にはタイ航空(キャセイと共同運航)便とスリランカ航空便があり、スリランカ航空便を使うと24日の一時ごろに成田に着くことができるようなのです。しかし、これを使っても二つの葬儀参列には厳しく、実質日本滞在24時間ではコストパフォーマンスが悪すぎると判断し日本帰国を断念しました。最初からこの案を考えていれば実行したかもしれませんが、すでに23日の一日間でかなりのエネルギーを費やしてしまったので自分でも体力に自身が持てなかったのです。他の方達はそのままヒルトンホテルで待機が続きますが、私は宿舎に戻りました。入国手続きをしていないのですが、キャセイの人がレジデンスビザを持っていれば手続き不要というので、何もしないで宿舎に帰ってきました。(ほんとうに大丈夫かしら)

いろいろありましたが、全く偶然に重なった二つの身近な人の葬儀でしたが残念ながら出席できません。もしキャセイ便が予定通り飛んでいたら、この運命的な出来事も違う展開になっていたでしょう。明日、土曜日こちらコロンボでお二人の冥福を祈るとともに、ご家族の方たちがこの悲しみを乗り越えていけるように祈りたいとおもいます。

最後に、妻には力になれず非常に申し訳なく思っています。私の分も含めて日本で立ち回ってもらうことになるので、くれぐれも身体に気をつけて、気持ちをしっかり持っていてほしいと思っています。




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