ゼロの視点
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2007年09月19日(水) 葬儀いろいろ

 昨日、友人SF嬢の父上が亡くなったとのメール・・・・。そして、今、私がこれを書いている頃、日本ではSF嬢が中心になって、通夜だの葬式だのと悲しみきる暇もなく、動き回っていることだろうと想像する。

 そして、ふと、今まで私が参列してきた葬儀の記憶が、まざまざと蘇ってきた。結婚式と葬式のどちらに慣れているか?、と問われれば、私の場合は、疑う間もなく《葬式》と答えることができる。とはいえ、喪主として葬式に出たことは未だないので、葬式の手順を問われたら全くわからないのだが・・・・、ま、とにかく、葬式にはなんだかんだいって縁があったりする。

 私が一番最初の記憶にある葬式は、自分の父親のモノ。私が6歳の時のことだったが、今でも、様々なシーンを今でもハッキリと覚えている。父の様態が突如悪化して、こちらが予想する以上前に、あっけなくあの世に逝ってしまった瞬間から、母が悲しむ時間もなく、書類手続き、葬式の準備、連絡作業だのと、忙しくなっていった。そして、朝から晩まで、数え切れない人数が我が家を出入りし、葬儀の日には交通整理の警官まで来ていたほど。

 幼かった私には、葬式があまりにも《賑やか》だったため、コレを《祭典》と勘違いしかねない程私が楽しみだした時、すべてが終了。宴の後とはよく言ったもので、皆がいなくなり、ガラーンとなった家に、母とたったふたりきりで取り残されたような印象を、身体全体で味わったものだった。

 次に、父とほぼ同時期に亡くなった、父の姉の葬式も立て続けにあり、またまた色々と参列者からお土産をもらい(ぬいぐるみやリカちゃん人形)、《葬式ってのは、やっぱり素晴らしいのか ?!?!?!》と、またまた勘違いしそうになっていた、あの幼かった日々・・・。

 そして、その数年後には、父の兄が亡くなり、青山斎場に足を運ぶと、また、これが盛大な葬式だったこともあり、《やっぱり、葬式は祭りなのか?》と、これまた勘違いしそうになっていた私。

 一方、自分の父親の葬式の前には、私の母の父親、つまりは、私の祖父の葬式があったはずなのだが、これは、なにをどうしようにも、全く記憶にないのが残念。というか、祖父の記憶すらないのが、全くもって残念。どんな《おじいちゃん》だったのか?、と、後になって母やその姉妹に尋ねたこともあったが、皆が《あんたのおじいちゃんはつるっぱげで、宇宙人みたいだった》と洗脳され、今や、自分の母方の祖父は宇宙人だった・・・、としか思えなくなっている自分が、ちょっと怖い。

 《あんたのおじいちゃんは・・・》と言うが、《あんたたちのとーちゃんは》と、私だって言葉を置き換えられるのを彼女達は知っているのだろうか?!?!?!?!。

 さて、1992年秋に、母方の祖母が亡くなった。この時は、私と母を除いた、ずべての親族が号泣し、瞼を腫らしていたのが、これまた印象に残っている。なんで、私と母が泣かなかったのか?、それとも泣けなかったのか?は、わからないが、そのくらい、母の姉妹たち、そしてその子供達が手離しで悲しみを身体中で表現していた。

 そして、私は泣かなかったとはいえ、さすがに《葬式は楽しいこと》だと思うことは不可能で、終始神妙な顔つきで参列していたものだった。そしてこの経験を皮切りに、《葬式は楽しいこと?》と勘違いしそうな幼児体験を重ねていた私は、違った側面の葬儀というものを体験したことになる。

 が、が、が・・・・・、祖父の遺骨を拾い上げる時には、皆、妙にハイになってしまっていて、ただの爆笑タイムになっていたことも、ちゃんと覚えている・・・・(汗)。

 これ以外にも、近所の人の葬式だとか、そういったことには参列してきていた私だったが、日本からフランスに移ったあとの葬式体験には、悲痛なモノが多い・・・・・・。ま、それだけ、私の大人になり、他者の痛みが余りあるほど想像できる人間に、私が少しだけ近づいた・・・のだろうか?。

 今年、フランスに住んで10年目にある私だが、葬式参列回数はあとちょっとで、両手で数えられなくなる。ということは、ほぼ1年に一度は、葬式に参列している・・・、ということだ。これが統計的に多いことかどうかはわからないが、親族の葬式というのではなく、友人・知人レベルで葬式があると、これはこれで衝撃的なものだったりする。

 《あんなに元気だった人が、なんで突然?!?!?!》・・・・、という感覚。そして、典型的なカトリック式な葬儀にはじまり、ユダヤ式、無宗教式等、様々なタイプもそれなりに経験。おまけに、4度の葬式は、皆、夫に先立たれた場合のもので、その妻らが皆30代っ!!!!!!。

 土葬される夫の棺と一緒に、生きたまま墓の穴に崩れ落ちていってしまうのでは?、という妻らを4度も目撃すると、さすがに心に迫るモノがある。と、同時に、ここまでこういったモノを見せ付けられたというのは、もしかして、今だからこそ、自分の母親の心境を知ってみろ、ということなのか?、と思ったりする。

 母は41歳で未亡人になったが、今、私が40歳。母が40歳の時には、翌年にはまさか自分の夫が死ぬとは、母が思っていなかったとしても、それでも、結婚する時から、9割以上の人が、母よりも父のほうが先に逝くと断言できたであろうほど、私の父はそれなりの持病があった。ゆえに遅かれ早かれ、夫が、自分先に逝ってしまうことは、母は潜在意識でちゃんと判っていたのではないか?、と思っている。

 だから、あまり母には同情してないが、それなりの覚悟があった母に対しては、同じ女性としては、ちょっとだけだが一目置いている(笑)。そして、そこまでの決心をして結婚をできるか?、と問われれば、私にはできんなぁ・・・、と告白せざるをえない。
 
 ところで未亡人といえば、ばばあこと、私の姑。で、彼女は、ここ近年はずうっと友人・知人の訃報ばかりで鬱になると常々ホザき続けているのだが、《あったりめーだろ、おまえはばばあなんだからっ!!!》と、ばばあを容赦なく切り捨ててきた私。

 ところが、最近になって、それはそれでわかるような気がしてきた・・・・・。ま、さすがにわかるようになってきただけであって、ちゃんとわかるわけじゃないのが救いだた・・・・・(汗)。とはいえ、80代にでもなれば、めでたい話よりも葬儀の話題ばかりなるのだろう・・・、と、妙な実感を持って理解できるようになってきた・・・。

 意識しようがいまいが、毎日新聞を手にすると訃報欄から読んでしまうという姑。で、そんな話を聞いて、幼少の頃は、新聞は訃報欄から読むものだと思っていた私・・・(訃報欄に父をはじめとする一族それぞれの死が、それぞれ掲載された幼児経験もあって・・・)という姑と自分の相違を、それなりに楽しんでいるが、好奇心ではなく、その欄に自分の友人の名を発見することが日常になってきたら、それはそれでかなりツライだろうなぁ、と思われる・・・・・・・・・・・・・・・。

 さて、SF嬢の話に戻るが、やっと自分の人生を感じてきて始めてやっと、他者の痛みなどにも感受性を抱けるようになってきた私。なので、同じ父親を喪失した体験があったとしても、私のソレは幼児体験でしかなく、痛みを全く伴わなかった。

 が・・・・・、実父が弱っていく様を、我が目で見聞し、世話をしたSF嬢の《父親喪失物語》とは、比べ物にならない。そして、今現在も、色々と葬儀の段取り等で忙しいSF嬢、がんばりすぎて倒れないでおくれましね・・・。そして、父君の冥福をお祈り申し上ます・・・・。


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