ゼロの視点
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2007年09月09日(日) 境界線

 夜、ふとテレビをつけたら、ちょうど《La Demoiselle d’honneur/ 石の微笑(邦題) / Claude Chabrol 監督/2004年仏》がはじまったので、そのまま鑑賞してみることにした。

 フランス映画定番の 《Femme fatale/運命の女》に、男が出会い、ハッピーエンドとは程遠いシーンで突如、《FIN》・・・・・って感じの作品。きっと映画館でみていたら、もう少しマシだったのかもしれないが、とにかく、自宅の居間で、夫と一緒にテレビ鑑賞となると、誰に注意されるわけでもないので、あーだこーだと、各シーンに2人でツッコミ入れちゃ爆笑したりするので、どんな映画でも、コメディになってしまうのが難点。
 
 《Femme fatale/運命の女》なんていえば、聞こえがいいが、ただの《Casse couille/キンタマ潰し (直訳→ウザイ女相手にゃ、勃つものも勃たんという意味、さもなくば、玉を潰される=虚勢される=尻に敷かれる) 》、じゃないのか?、と、この映画をみながら何度思ったことか・・・・。

 未亡人の母と、妹2人と同居している長男が、すぐ下の妹の結婚式にブライドメイドとして出席した、《Femme fatale》こと、《Casse couille》な♀に出会い、徐々に破滅も道を歩みだす・・・、という話。破滅の美学?!?!?、といいたいところだが、どうも私には、他者との間に境界線がうまく引けないACな長男が、あれよあれよとボーダーラインな彼女に引っ張られていくだけの話にしか見えないのだ・・・。

 で、またすごいタイミングで、友人SF嬢が《境界線》についての本を、数日前に日本から送ってくれ、これらのことについてあらたに復習したばかりだから、もう、笑えるのなんのって・・・・・。

 ボーダーラインな♀が、ACの♂を面白いように振り回していく。ま、もちろんACだから簡単に自分の境界線を他者に踏み越えさせ、自分をテリトリーを他者にマル投げしていくのだろうけれど・・・・。そして、そこに悲劇のヒーロー的な、意義を見出しながら・・・・《ボクがいないと彼女はだめだ・・・》という、共依存関係でズブズブになり、気がつきゃ、犯罪の片棒を担がされていくAC長男な♂。

 ラストは、♀に《あなたが必要なの !!!》と切に言われているうちに、ますます《ボクがいなければっ !!!》と、キラーンと目を輝かせ、まるで彼が、共依存界の期待のプリンスのように生き甲斐をみつけたか?、というところで映画は終わっていく・・・・。うーーん、実に、なんとも素敵に病んでいる・・・・。

 母親の期待に沿う息子を演じ時には、父親の代理として一家の責任を背負い、職場ではトラブルを解消し、妹には金を貸し、とにかく、皆が彼に頼っているというか、都合よく利用している場合もあるのだが、ソレに対して決して《NO》とは言わず、ないしは言えず、ただひたすらいい人を演じ、あらゆるものを背負おうとする長男。

 一方、他人を振り回すことで自己の空虚さを穴埋め用途するボーダーラインな彼女は、結婚式会場で、本能的に重症ACな長男を嗅ぎ分け、有無も言わせぬ一方的な態度で彼女は彼に迫っていく。ここまで一方的に人に、自分のテリトリーを侵害されることなぞ、わたしゃ、絶対許せない行為だし、ありえないことなのだが、ACな長男には、うってつけ。

 彼女が彼に投げかける言葉は、実に一方的で、尋ねるという行為は一切存在しない。すべて、彼女が決めて、彼がそれに従っていく。もう、この会話だけでも、もし、自分が彼の立場だったら?、と考えるだけで、心地よくイライラできるほど(笑)。《あんた何様?》と、即刻、この女性に問いただしたいっ♪。ってか、これって、うちのばばあこと、姑じゃないかぁ、見かけは違うけれど(笑)?!?!?。

 と思ったら、私以上に、異性にこういう扱いをうけた瞬間に、その場でカチンとくる男な夫(母親とのトラウマから)が、イライラしている。映画みながら、ずうっと《Casse pied》《casse couille 》《emmerdeuse 》 《autoritaire》《salope》《chieuse》等と、まるで自分が被害者かのように呟いているから、なかなか笑える。

 この映画で長男役をやっている、ブルノー・マジメルの辛気臭い、神経質な顔は嫌いじゃないのだけれど、それにしても、もっと自分を大切にしようや、にいちゃんよ・・・、って感じな映画だった・・・。


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