ゼロの視点
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2007年02月09日(金) エネルギー

 母のボケがいよいよ病的なものとわかってきた頃、実家の空気が妙だったのを思い出す・・・・。すべてが滞り、その中にいると窒息してしまいそうな重苦しさを、今になってよく思い出す。

 特に、2003年から2004年の実家の空気はヤバかった。母が家を管理するのではなくて、もはや家に母が取り込まれつつあるかのようでもあった。そして、そこに一時的に暮らす私までもが、取り込まれそうな重圧感・・・。

 これを邪気とでもいえばいいのだろうか?。とにかく、《気》が完全に滞っているのだ。ゆえに、そんなところには、色々と邪悪なものが引き寄せられてくる?、なんて大げさに言っても妙に納得しかねないほど、悪徳リフォーム業者、新聞勧誘員、保険勧誘員などがうようよとやってきていた。

 ま、これが霊的なことに敏感な人が語るようなことになれば、そこにはもっとやばいものまで一緒にやってきていたとか、言うのだろうか?。

 2003年末から2004年中旬までは、実家を訪れる人の数も極端に少なくなっていた。おまけにボケはじめた母は、あまり換気もしなくなり、人の出入り
だけじゃなく、空気の出入りもなくなり、ますますエネルギーが停滞していく・・・・。

 2004年の6月末から、介護保険の申請が通り、ヘルパーやケアマネがちょくちょくくるようになると同時に、徐々に家の空気も少しは変わったが、完全に《換気》するには不十分だった。

 それからというもの、従来以上に私が友人らと会う時は、なるべく実家に来てもらい、とにかく色々なエネルギーを率先して実家にぶちまける作戦に出てみた。

 また同時に、近所の人にも、母がボケてきていてヘルパーやケアマネがやってきていることなども率先して話していくと、皆も逆に手出ししやすくなったのか、遠慮気味だった近所の人なども、どんどん我が実家にやってくるようになった。

 そして徐々に、我が家への人の出入りが習慣として根付き始め、これらのシステムは私が不在の時でも稼動するようになっていった。

 1年もすると、母のボケは進行したとはいうものの、実家の《空気》はものすごく心地よいものになってきていた。死にかけたものが、息を吹き返したかのよう・・・・。とにかく、これにホッとしたものだった。

 ちなみに今は、誰も住んでいない実家だが、それでも当時の、ホラー映画にも匹敵しそうな《気の滞り》は発生していない。




 ところで、誰かが病気の家、人間関係で問題がある家、そういうところには、こういった感じの《気の滞り》がいやでも感じられることが多々アル。その人の家に入った瞬間、《あ、この夫婦ヤバイ》とか、感じ取らざるをえないこともあったりするから、面倒でもあったりする・・・(汗)。

 あまりそういったことは見たくないのにもかかわらず、だ・・・。

 さて、我が家のエネルギーはどうかというと、夫婦喧嘩が起きそうな時などは、色々な電気製品が壊れ始めるのが特徴(笑)。ヒューズが飛んだりするのはしょっちゅう。夫婦仲が比較的穏便な時は、これらの事象は滅多に発生しないから不思議だ。

 私も夫も、エネルギー量が多いのは傍目から見てもわかることとはいえ(エネルギーの無駄使いともいう・・)、ここまで各自のイライラが、電化製品に飛び火するのを目の当たりにして、ただただ呆然。最後は、ネットのサーバーまでぶっ飛んで、メールすらできなることもあるから、不便・・・・・(涙)。

 ということで、我が家の場合は、エネルギーが滞るのを通り越してショートするのだけれど、いすれにせよ、エネルギーはときとして、言葉以上に危機を語るゆえ侮れない・・・、と、再認識しはじめたゼロでした。


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