ゼロの視点
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2004年05月26日(水) ネットワーク

 午前中は、母にくっついて、彼女の長年通う習字教室へ行ってみた。もうかれこれ、彼女はどのくらい習字を続けているのだろうか?、私にはよくわからん。ま、それほど長いのだ。

 ただ、母がおかしくなってきてからは、彼女はあまり通わなくなってしまっていた。幸いにも、ここ数週間前から再び教室に足を向けるようになってきてはいるが、私としてはまだまだ危うい。

 さて、教室に到着すると、でかい“コブつき”でやってきた母を、仲間が歓迎してくれる。私はフランスから持ってきたお菓子をくばる。今では、母よりも調子よくあらゆる世代の人とコミュニケーションするようになってしまっている私が、さりげなく皆に話しやすい空気を作っていく。

 というのも、私としては教室の仲間は、絶対母の異変に気づいていると思っていたからだ。とはいえデリケートな話題ゆえ、こっちがあえてその話を切り出さないと、皆が奥歯にモノが挟まったような会話になりかねないと思ったからだ。

 母の習字の先生は、いち早く母の異変に気づき、忽然と教室に現れなくなった母に対して定期的に電話をして説得していてくれたことが判明。独りだのなんだのとグチグチ言っていた母だったが、やはりチャンスには未だ見放されてないことを実感。

 そして習字の先生は、“でもね、何度も電話するとかえって迷惑かしら・・・、って迷ったこともあるのよ”と私に言う。そこで私は“いやあ、母は自ら引きこもりガチになって、どうしようもなくなったから私がこっちに戻ってきているほど、ガンガン彼女に電話してくださって本当に感謝しております”と述べてみた。

 今回の里帰りのひとつの目的。それは母の隣人や教室の仲間などと、私自身がコンタクトを最大限取ることだった。

 母はもう30年以上、現在の住宅地に住んでいる。で、この住宅地は昭和40年代中盤に建設されたもの。ゆえに、同時にここに引っ越してきて、子育てをしなんて同胞がたくさんいる。

 だから観察するとはなしに、30年なりのコミュニケーションというものが存在するのではないか?、と私は思っていたのだが、それは確かに存在していた。母をよく知る隣人らは、愛犬を失ってからの彼女の沈みように、どう手をだしてよいかわからず、とはいえあまりにも危ういので、そうっと見守ってくれていたのである。

 私が実家に戻ると、ピアノを弾くので、その音で隣人らは“ああ、ゼロちゃんが戻ってきている”と判断してくれる。とある隣人はそれで、ある時クルマの出し入れをしている時にやってきて、“お母さんに何かあったら、すぐ連絡したいからパリでの連絡先を教えてっ”とまで言ってくれた。

 本当にありがたいことだ。そして、母が嘘をつこうが否かに関わらず、こうして実際に私がここにいなくとも、色々と私に情報を流してくれる“スパイ”を確保できる安心感(笑)。

 ということで、本日は習字教室の人らともガッチリコンタクトが取れて、一安心。



 さて、本日は本当に快晴だった。このまままっすぐクルマで家に戻るのは惜しかったので、その足で父の墓参りへ行くことにした。高尾にある都営霊園はちょっと遠いのだが、こんな日にはいいドライブにもなる。

 途中のスーパーで弁当を買って、墓の前で母とピクニック。芝生の上に二人で座り、のんびりと色々なことを話した。家の中で顔をつき合わせて、険悪な雰囲気になるのとは全然違う。やはり自然の開放感が、私達をもリラックスさせるのだろうか?。

 また、父の墓参りへの懐かしいドライブルートなどを走っていると、母も色々と喚起されるのか、痴呆症状はみられない。ま、こういった状況が続くのが一番だが、まだ油断できないのがちとキツイいんだよなぁ・・・。



 

 さて、全然話は変わるが、本日から深夜に懐かしいテレビドラマが再放送され始めた。それは山口百恵と三浦友和主演の『赤い衝撃』。典型的なコテッコテ大映ドラマは、非常に笑えるし懐かしい。日本滞在中は、毎晩これを見てしまいそうな予感がするゼロでした。


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