ゼロの視点
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2004年05月23日(日) 試み

 本日は母と一緒に、まず教会へ。

 昨年の夏まで2年間ロンドンで留学生活をしていた、敬虔なカトリック信者である、小学校からの幼馴染M嬢とそこで落ち合うため。また、そこのフランス人神父に挨拶に行くためでもあった。

 このフランス人神父には、昨年夫を連れ立って里帰りした際に、とてもよくしてもらったこともあり、フランスでしか手に入らないお菓子を持って挨拶をしてみた。1926年生まれの高齢を全く感じさせない彼のバイタリティーは、健在だった。

 今回は、夫はパリで留守番と神父に伝えると、ちょっと彼はガックリしていた。これを単純な夫に伝えたら、きっと喜ぶのだろう・・・・。

 幼馴染M嬢は、実は現在京都で撮影の仕事をしている最中。しかし、ちょっとスケジュールに狂いが出て、たまたま実家を拠点にして都内で数日仕事をしていたので、ラッキーとばかりに久し振りに会うことになった。

 彼女と昨年会ったのは、昨年の4月、パリで。当時は留学生という顔だったが、本日はさすがに仕事をバリバリしているのか、プロの顔だった。


 ところで私の母も、なんちゃってカトリックだったりする。なぜ、なんちゃってなのか?、というと、若気の至りで洗礼を受け、彼女にしては熱心に教会に通ったものの、その後知り合った未来の夫(つまりはわしの父)に、“科学者の妻たるもの、つまらぬ宗教にはまらないでほしい”とのことで、説得され、以後教会通いを止めていたのだ。

 父も父だが、そんな説得に簡単に応じる母も母だ(笑)。そんなところを私からさんざんからかわれていた母だったゆえ、どこか教会通いを復活させることに迷いがあるようでもある。また、母からすると、教会通いする人の中には、妙に“いい人ぶっている人”が混じっているので、それが嫌なのだとか、言い出す。ま、確かに一理あるが、そこはまあおさえて、おさえて・・・・。

 私としては、洗礼を受けてない私にも、信者にもその強烈な個性でエンターティナーとして楽しませてくれる神父がいる教会に、信仰しようがしまいが、とりあえず通うことで色々な年代、国籍の人たちと母が交流するようなことがあるといいなぁ・・・、という思惑がある。

 が、当の本人は、あくまでわたしの付き添いという風体で、その場に存在している・・・・・(汗)。そんな母を見て、里帰りの疲れがたまり余裕がなくなっている私がツイツイきつい口調になる。それにつられて、母もキレル。

 夫との喧嘩を終わらせてパリを経ち、日本に戻ったら、今度は母だ・・・・・、ああっ。


 本来なら、教会のあとM嬢と一緒にどこかでランチでもしようということだったが、この分だと不可能と察し、母をクルマに乗せて、険悪な雰囲気のまま彷徨う。人気のない公園の駐車場にクルマをとめて、車内で親子喧嘩。

 母も私も、それぞれの理由で怒っている。母の一言一言がある意味正論だったりして、私はどんどん狂っていく。が、不思議なことに、こんなマイナスな状態でも、言いたいことをバンバン言ってくる母に対して、ちょっとホッとしている自分もいたりする矛盾。

 以前の私だったら、ここで意地を張り通したのだろう。が、夫との喧嘩なども含め、意地になることが対して意味を成さないことを少しは学んだのか、母に対しても、自分も矛盾を少し落ち着いた声でそのまま伝えてみる。

 すると、それが意外にも母を少しずつ静め始めたようだった。これはもしかしていけるかも?、と同時に思った私。というのは、この一時間後に、太極拳教室の無料体験講座に2人で参加する予定だったからだ。

 昨年の12月に母がパリに来て、カルチャーショックから精神的変調を来たし、あの手この手で母をリラックスさせる方法を夫と共に試みた私達だったが、その中のひとつで太極拳はかなり母にそれなりの効果をもたらしたので、私としてはこれは一つの賭けでもあったのだ。

 “私に適当な趣味を無理やり押し付けて、自分だけ安心してまたパリに戻るつもり?”という母の私に対する不信感(確かに一理あったりするから汗・・・)と、“いつまでも被害者ヅラして心配させるんじゃねーよ”という私の怒りが、ここでなんとなくやんわりと交差したのかもしれない。

 その後、落ち着きだしたわしら親子は、色々と話し出し、母のほうもリラックスしはじめ、太極拳体験講座に行きたいと言い出してくれた。


 なので、急いでクルマを飛ばして会場入り。無料体験講座とあってか、かなりの人。およそ80人ほどいただろうか・・・。

 私の夫の太極拳暦は半端じゃない。以前にも書いたが、本場中国で、最後には中国人相手にソレを教えてしまったほど。私自身においては、日本にいた時には太極拳自体になんの興味も覚えなかったものだが、さすがに夫の熱心さに負けてトライしているうちに、いつしか自分でも好きになってしまっている。

 が、太極拳には2大流派がある。それは楊式と陳式である。夫の太極拳は楊式、となると私の師は夫なのだから、必然的に楊式。そして母がパリで熱心に取り組んだソレも楊式、となる。

 そして、今回の体験講座は陳式。地元で楊式を探し回ったものの、どうしてもそれを発見できなかったので、背に腹は変えられない。

 今回の講座には、陳式の大家といわれる中国人がやってくる。が、誰もが大家と平気で名乗りかねない中国人と思っていた私だったが、今回の講師は本当に凄い人だった。

 結局、楊式だろうか陳式だろうが、“気”をいかに自然に利用し、身体と宇宙を一体化させていく運動なのが太極拳。さすがにこの点には敏感になっている私は、講師の動きを見ているうちに虜になってしまった。

 日本に住み始めて15年強という講師は、日本語も堪能かつ、本当に太極拳の真髄に迫る説明もうまい。この場に夫がいないのが悔やまれるほどだった。フランスでも道場やぶりのように、色々なところを実は訪れているが、これほど端的かつ自然に説明&デモンストレーションできる講師もできないと思う。

 母が興味を持とうが否か以前に、私がここに住んでいたら通ってしまいそうな講師だったのだ(笑)。

 無料というわりには、本当に講師は熱心に教えてくれた。娘が親を放ったらかしではまっていくのに反応するように、母も母なりに動きについていこうとする。

 とはいえ、全くの初心者の母の動きは遠くからみていると、笑えるほどリラックスしていない。そしてパリで私の夫とマンツーマンで特訓した時と比較すると、彼女の出来ははるかに悪い。

 一方、多くの受講者が全員平等に動きが見られるように、色々と場所を変えてデモンストレーションをする講師。そんな講師のあとを一心不乱に追いかけて、一番講師から近い所で、なんとか動きを真似しようとする母。そんな母を目で追いかけながらも、私自身の楽しみもやめられない。

 さすがに母は、最後には見学に回ったが、本当に熱い講座だった。そして絞めに講師自身の単独デモンストレーション。これは圧巻だった。身体の芯から発する講師の深い息遣いと集中力がひしひしと伝わってきて、彼が演じ終わるか否かのところで、鳴り止まぬ拍手を一番に送っていた私だった。


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