ゼロの視点
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珍しいことに、用事をすべて早めに終えて家に戻ると、夫もなぜか本日は早めに会社から戻ってくる。
ま、とりあえずインゲンだけでも茹でておこうと思い、キッチンにいると、夫が自分の携帯を私に差し出してくる。私あての電話が夫の携帯にかかってきた模様。相手はフランス語ができないようで、どうにも対処しきれなくなった爆弾を私に渡すように、夫は自分の携帯を私の手に握らせてくる。
で、電話にでると、
相手「ゼロちゃん?、私、Aよ」
私「あ、お久しぶり、でも、携帯は日本からだと高いのに」
相手A「高くないのよ、だって私、今パリにいるの」
私「えーーーーーーーーーーーーっ」
A嬢は、私の従妹で61歳。わしの父の兄Zの娘だ。
もともと私と父自体47歳の年齢差があり、父とその兄Zは12歳も違うわけで、必然的に、父の兄Zの子供達は私と全然世代が違う、ということになってくる。私にとっては、大正生まれの父と、明治生まれの叔父、遡れば、江戸時代末期生まれの祖父という、昭和42年生まれの私にとって、計算するのも面倒くさいほど、激しい年齢差がある。
私が日記に従妹と書く場合、そのほとんどが母方のソレであり、みんなほとんど同世代。こちら側とは非常に頻繁に付き合いがあるのだが、父方のほうは稀。なぜなら、父がはるか昔、自分の兄Zと大喧嘩をして以来、疎遠になっていたからだ。
喧嘩の理由は、父と兄Zの間にいた、姉AKの仕業ともいわれている。末息子として生まれた父は、誕生してすぐに父親を失った。それと同時に、母親の健康もすぐれず、兄Zと姉AKが事実上の両親のようにして我が父の面倒をみていた模様。
商才に非常に長けていた兄Zは、家庭の事情もあり学業を続けるかわりに本格的にビジネスをはじめ、それが戦後の動乱でどんどん波にのり、あっという間に大金持ちになっていく。
そして兄が諦めた学業を、商才にまったく恵まれず、ただ学業だけが非常に長けていた我が父に、ソレを続けさせるために、兄は弟の金銭的支援を続けていた。そして、父の姉Aもしかり。近親相姦的とも言える、姉Aの我が父への愛情はどんどん強くなっていく一方。
すでに父になっていた兄Zに対して、“自分の家庭ばかりを優先させる”というイチャモンをつけだしたのは、父の姉A。そして、学業しか知らず、世間からちょっとずれていた父は、そんな自分の姉の言葉に丸め込まれていき、本来上手く行っていた兄と弟の関係を放棄せざるを得なくなっていった。
このようなことが発生したのが、昭和20年代・・・・・。
ああ、気が遠くなってくる。その当時、私は影も形もない。もちろん、母もまだ思春期だったはずだ。
そして父は、死ぬまで決してこの決裂のいきさつを詳しく、自分の妻と子供に話すことがなかった。
それでも、兄Zは、音信の途絶えた自分の弟(つまり私の父)が、学業ばかりに専念して、霞を食うような生活をしているだけじゃなくて、結婚もして、なおかつ1児の父になっているらしい、という噂をききつけて、一度だけ我が家にやってきたことがあった。それも、父が不在の時を狙って。
兄Zは、その時4人の彼の子供のうちの一人である娘を連れてやってきた。それが今回私に“私、今パリよーーん”と電話をかけてきた従妹A嬢だ。
当時、私にとって従妹といえば、自分と同じように子供なのだと信じ込んでいたゆえ、突然20代の女性を見て、“ああ、おねーさんっ!!”等と妙に感動したものだ。
次に兄Aとその娘A嬢に会ったのは、父の葬式の時。翌日、兄A宅にはじめて行き、その信じられない豪邸にビックリしながら、娘A嬢がグランドピアノでちょっと演奏してくれたのが、私がピアノを習うきっかけになっている。今、思えば、A嬢が弾いた曲は“エリーゼのために”だったのだが、当時幼かった私に、“キレイなおねーさんが、キレイな曲をピアノで弾いてくれる”と感動するには充分だった。
我が父が死ぬ3ヶ月前に、彼の姉であり、兄と弟の仲を徹底的に引き裂いたとされているAK嬢がひっそり、孤独に亡くなっている。AK嬢の死を知った父は、一日中肩を震わせて泣いていたという。
そして、今度は父の訃報を知った兄Zは、やはり同じように一日中肩を震わせて泣いていたのだという。
そんな兄Zも、その数年後に亡くなった。
“恩讐の彼方に”じゃないが、どうして死ぬまで決裂したままだったのだろう?!?!、という私と従妹A嬢の疑問。大事な人間を失った後で、無念に肩を震わせて泣いているぐらいなら、生前から仲良くしておきましょう、ってことで、私とA嬢は今でも仲良くしている、というわけだ。
いずれにせよ、私は、父らのお家騒動のかなーーり後に、ひょっこり生まれてきているので、A嬢としても逆に付き合いやすいのだと思う。実際にA嬢の兄などは、兄と弟の麻布“暗闇坂”での激しい喧嘩の時に目撃者としていたらしい。こうなると、またイメージが違ってくるというもの。ちなみに、A嬢の長兄の子供達は、私より年上だったりする・・・・。
どうでもいいけれど、 暗闇坂で殴りあうなよ・・・・、キミ達・・・・。
従妹A嬢は、シャモニーにフラッと遊びにきていた模様。今回パリはトランジットとして通過するだけだから、私たちにあらかじめ連絡をしてこなかったという。が、オペラ界隈で空港行きのバスを待っている時、時間があったので、以前わしらが渡した電話番号にいちかばちかでかけてみたらしい。
もし、夫がたまたま早く家に戻っていなかったら、夫がA嬢の電話を受けても私は彼女の電話には出られなかったことだろう。本当にラッキーだった。
A嬢「で、うまく行っているの?」
私「何が?」
A嬢「だから、あの、その・・・」
私「あ、わかった、アタシのことだから、旦那が嫌になったとか言って、家を飛び出したりして、そのうち日本へ戻ってA嬢のところへ突然現れて、離婚しちゃった・・・、と言いそうで、心配してるんでしょ?」
A嬢「そうよ・・・・ゼロちゃんだったらやりかねないでしょ。」
私「今のところ、無事に続いてるよ。安心してね」
A嬢「ああ、よかった」
とこう締めくくると、彼女はホッとしたのか涙声になっていた。
先週までのフランス西部旅行では、夫の父方の親族を中心に面会を重ねてきた私たち。夫も気がついたら、母方の親族とばかり繋がりが強くなっていたらしい。おまけに夫の父も、自分の家系など気にもせず、妻がやりたいようにやらせておいた、という感じらしい。
ちなみに、夫の祖父には弟がいた。夫の祖父は商売の才能がまったくない、インテリタイプに対して、その弟は商才に非常に長けており、子孫たちが着々とビジネスに成功している。
そして、夫と2人で、
どうも“金持ち”には縁がないようだね、私たち・・・、と。
と同時に頭脳もそう簡単に遺伝しないしね・・・・、と。
もしかして、私たちってどうしようもない子孫?!?!?!、と。
一瞬、2人で暗くなりかけたが、中途半端な子孫として、現生活をエンジョイしているんだから、ま、いいか?、と、都合よくしめくくり、安ワインを口に流し込んだ。
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