ゼロの視点
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2003年12月08日(月) 母、パリに到着

 夕方、パリの空港に到着する母を迎えにいくために、早めにRERに乗ろうと北駅に向かう。が、私も気分がソワソワしていたのか、RERのB線にのるはずが、気がついたらD線に乗ってしまっていて、途中下車して、そこから空港へ向かうはめとなってしまった。

 10年前に一度だけ、団体旅行でパリに来たことのある母は、現在71歳。9月の下旬に17年と8ヶ月一緒に暮らした愛犬マルチンを失い、どんどん覇気をなくして行く彼女。

 今年の5月下旬から6月下旬に日本に里帰りしていた時も、すでに相当老いてきている愛犬マルチンとの、淡々とした生活からの影響か、母の物忘れも目立ち、私自身“???”と見受けられる点がかなりあったので、パリに戻ってから、色々と調べて、脳ドッグを一度受けてみないか?、と母にすすめてみた。

 母は、最初は予想通り、脳ドッグという言葉に拒絶反応を示したものの、パリからどんどん検査の手配をして、あとは申込書に本人が記入してサインするだけ、というところまで準備すると、すんなりとそれを受け入れてくれた。

 が、現在脳ドッグは多くの希望者がいるため、7月の下旬に申し込みしたのにもかかわらず、検査は11月の上旬となった。呆けのはじまりなのか、それとも脳病気(脳梗塞等)なのか、それともうつ病なのか?、それらを知るためにも検査は欠かせない。

 そして、11月の下旬に検査の結果がきた。記銘力の低下と、初期動脈硬化のようなものが見受けられるというもの。母は、パリ出発前にこの結果を受け取り、激しく落ち込む。電話口で検査結果を母に読んでもらい、私がそれを細かくメモする。そしてその後ざっとネットで色々調べて、その後、脳ドッグを受けた病院に問い合わせ。母自身も担当医に問い合わせとすると同時に、帰国後一番早い再検査の予約をする。

 その結果、母と二人で話し合い、それでも、気分転換にパリに行ってみようかな・・・、という彼女の気持ちを尊重して、彼女はパリにやってくることになった。

 彼女は、ここ数年、愛犬マルチンのこともあり、一泊すら家をあけたことがなかった。そのくらい、自分の家とその近所、そしてたまに出かける場所というように、日常生活のリズムが決まっている。そんな性格になっていた彼女がたとえ10泊11日といえ、家を開け、フランスに来るということは、かなりそこでストレスを感じていたのだろう。

 出発が近づいてくると、検査結果の精神的ショックもそれに重なり、極度の不安と緊張なのか、呆けといえる“つじつまの合わない”ことを言い出すことが何度かあった。それに自分でも気付いたのか、母は成田に行く前日は、母の妹の家に一泊して、その妹の好意で成田まで見送ってもらって、飛行機に乗るほうが気分が楽だ・・・・、ということになった。

 さて、母はまず彼女の妹の家に宿泊したのだが、恐らくこの時点で相当意識が混乱していたと思われる。そんな母を見て、妹の家族は、とうとう母が痴呆になったと思って、このまま旅立たせてよいのか?、と強烈に心配したことだろう。本当に申し訳ない。

 そんな母に付き添うように、彼女の妹は成田一緒にきてくれて、搭乗手続きをする際に、何かあったら、母に注意をはらってくれと言い残しておいてくれた。



 さて、パリの空港の到着ゲートのまん前にあるカフェに早々と陣取っていた私。しばらくすると、母と同じ便に乗ってきた人たちがゲートからゾクゾクと出てくる。そしてその中に、係員につれられて母がゲートから出てきた。

 親切な係員(日本人)に丁重にお礼を言い、母に長旅お疲れ様と言おうとするやいなや、母は
「なんで、ゼロがここにいるの?、どうして成田にいるの?」と驚いている。

驚くのは、こっちだ。とりあえず立ち話もなんだから、今まで私が陣取っていたカフェに再び戻り、母が落ち着くのを待ってみる。が、いっこうに自分がパリにすでに到着しているということにピンと来ていない母。それでも注意深く彼女の話を聞いてみると、彼女の日付は12月7日の午前中で止まっていることに気付いた。

 母は12月7日の夕方から、彼女の妹の家に一泊世話になって、ここまでやってきているのだが、妹の家に向かった時点からの記憶がぶっ飛んでいるということ。母は、家を留守にするために、念入りに戸締りをしたそうなのだが、それに対しての記憶はあるが、何のために戸締りをしたのか?、というのを忘れてしまっている。

 おまけに、「今日は何日?。」と尋ねてくるので、「12月8日月曜日だよ」と答えると、「あら、大変。12月8日にパリに行かなきゃならなかったのに、どうしようかしら・・・・。もう私の航空券、無効になちゃったわね・・・」というような会話が続く。

 こうして、一時間ほど到着ゲート前のカフェにいた私と母だが、これ以上ここがパリであって・・・・等、彼女の執拗に説明しても彼女の混乱をもっとひどくするだけだし、私もだんだんとイライラしてきて、母を叱責しかねないので、とりあえずタクシーに乗って、家に戻ることにした。

 たまたま乗ったタクシーの運転手は、自称親日家でお喋り好きなフランス人。ついつい、いつもの私の癖でタクシーの運転手とベラベラお喋りしている光景を見た母は、「日本のタクシーの運転手とは違うわねっ!!」と楽しそうに私に話し掛けてくる。

 なんだ・・・・・、どこかでちゃんと自分がパリにいる、ってことは認識してるんじゃん・・・・、と少しホッとする。

 自宅に到着すると、一足早く家に戻っていた夫が、はじめてフランスまでやってきた“義理の母”に手厚い歓迎をする。近所のスーパーに3人で買い物に行く途中、犬をみるや、満面の笑みでそれに近づいていく母。買い物を終え、夕食の支度をして、3人で母の歓迎ディナーをした。

 母が呆けてようがどうだろうが、とにかく、空港からタクシーに乗って、ディナーを終えるまでは、“あたかも普通”に事は進んでいった・・・・・・。続く。

 


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