ハニワ在ル...はにわーる

 

 

しゃれにならん魔性 - 2002年08月03日(土)

ワタシは基本的に
あまり漫画読みではないので、
好きな作家の作品しか読まない。

しかもかなり偏っている。
引っ越す前に漫画はすべて処分したが、
それ以前にも西炯子と吉田秋生の旧作と
上條淳士の漫画(しかもTO-Y(笑))
しか持っていなかった。

そんなワタシが本日、近所の古本屋で
100円だったという理由で手にしたのは、
なぜか今まで読むことのなかった
吉田秋生の『吉祥天女』。

ミステリーやアクションもいいが、
人間の心の機微を読むのがやはり一番好きだ。
魔性の美女、小夜子をめぐる人間たちの姿がおもしろくて、
一気に読み終えてしまった。

そして、なぜ今までこの作品に手が出なかったのかも
なんとなく自分で納得してしまった。

魔性の美女はシャレにならんからだ。


魔性の美男子はなかなか好きだ。
映画御法度も、美しすぎて周囲を惑わせる
男子、惣三郎が主人公である。

彼もまた小夜子同様自らの魅力に自覚的で、
それを武器に多くの人を殺める。
その非情で残酷な姿さえ美しいところもよく似ている。

だが、小夜子に渦巻く男への恨みや
家庭環境を呪う情念の恐ろしさときたら
惣三郎など足元にも及ばないものだ。
弱味さえまるで見せず、
とうとう自分の行く手を阻むものを
全てといっていいほど殺しつくしてしまった。

そして、物語が終わるにあたり、
さして情念から解放されるでもなく、
しかもまだ生きている。

惣三郎は最大の弱味であった(?)
沖田総司によって殺されるわけだから、
ここが一番の分かれ目かもしれない。


別に惣三郎がシャレで通用するわけじゃないが、
小夜子の情念はフィクションながら容赦ない。

同じ女だからかもしれないが、
薄気味悪さを無意識に感じ取っていた気がする。
やっぱり、女のほうが怖いのだ。










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