海乃屋ラーメンを食べましたか? (桜島ライブ65) |
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2004年11月17日(水)
『海乃屋ラーメンを食べましたか?』−桜島ライブ(65) text 桜島”オール”内藤
海乃屋ラーメンにかけてあった、剛の詩画。 「俺のふるさと鹿児島に 忘れられない味がある・・・」 それは、ほんとうに忘れられない味でした。
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さようならの唄 鹿児島編
桜島フェリーはあっという間に僕らを乗せて、 鹿児島本土側の乗り場に滑り込みました。
時間は12時を回ったところ。 朝ゴハンも食べていなかったなと、 途中、コンビニでおにぎりを買って食べました。 そして、僕はまた足をひきずりながら、 友人はひたすら無口で、 ホテルへとたどり着きました。
シャワーを浴び・・・爆睡。
目が覚めて、カーテンを開けると、 鹿児島は日が落ちていました。
ふと見ると、友人のベッドはもぬけのから。 なんだ?僕を残してなにか食べにでも行ったのか? 不信に思いながらも部屋でぼーっとテレビを見ていると、 友人がビニールの袋を下げて戻ってきました。
「着るものがないから買ってきた」
友人はジーンズを一着だけしか持って来てませんでした。 さすがに、桜島帰りのジーンズは洗わないと着れないということで、 替えのものを買いに行っていたとのこと。
それから僕らは、もそもそとホテルを抜け出し、 天文館に出て行きました。 街の中には、剛のTシャツを着た人がたくさん出ていました。
一晩眠って起きると、なんだか、 桜島ライブが幻のような気がしたのですが、 やはり、桜島ライブは始まり、そして終わったのです。 いたるところですれ違った剛Tシャツの人々と、 痛む脚が、それを証明していました。
僕らは天文館で、 どちらかの一曲目予想が当たったら、 負けた方のおごりで食べに行こうと話していた、 品のいい、しゃぶしゃぶ屋さんに行きました。 どちらの予想も外れたので、 それぞれお金を出し合って食べることにしました。
しゃぶしゃぶ・・・おいしかった。
僕らは、食べ放題のコースで、 しこたま肉を腹に詰め込みました。 食べながら、僕らは桜島ライブを語りまくりました。 眠ったことで、しゃべるパワーが戻ってきていました。 頭の中の記憶も整理されたのかもしれません。
耳をすませてみると、周りでも、 ライブの話をしている人ばかりでした。 いたるところに剛ファンがひそんでいる、 ライブ終了日の夜の天文館でした。
経済効果50億円・・・ そう試算された莫大な金額が、 おいしい食事、交通の足、泊まる宿と引き換えに、 鹿児島にドンドンと落ちて行っていました。
しゃぶしゃぶ屋さんを出て、 僕らはモスバーガーに入り、 アイスティーを飲みながら、 またひとしきり、ライブの話をしました。 一度火がついたら、いくらでも、いくらでも、 桜島ライブの話ができました。
ほんとうに、涌き出るように、 ライブであったことや、 剛があのときこうした、こう言ったと、 僕らは憑かれたかのようにしゃべりまくり、 僕はそんな話を、日記のためにメモに書きなぐりました。 数時間もそんな時間を過ごして、ようやく僕らは店を出て、 ふくれた腹をかかえてホテルに戻り、 また、ライブを語ったのです。
しゃべり明かしたこともあって、 翌日、僕らは9時に起き、10時にホテルを出ました。 僕が前の日にお願いしておいた、 22日の南日本新聞をフロントの人がくれました。 桜島ライブが大きく取り上げられていた新聞でした。
僕らは朝食を取らずに、 路面電車を乗り継ぎ、あるラーメン屋さんに向かいました。 それは、海乃屋ラーメンというお店でした。 最寄駅から降りて、交差点できょろきょろしていると、 剛のTシャツを着た人たちに、ここでもやっぱり会いました。 僕らは彼らの後について、海乃屋ラーメンにたどり着きました。 思ったより、駅のすぐ近くにありました。
お昼前だというのに、海乃屋ラーメンの前には、 長い行列ができていました。 もちろん、全員が、桜島ライブ帰りの人たちでした。 僕らは、列の一番うしろに並び、 順番がやってくるのを待ちました。 誰もが、剛の話、ライブの話をしていました。 貸し切ったタクシーで、これから、剛の母校など、 ゆかりの地を回るのだという人たちもいました。
タクシー運転手さんが駐車場で待っていました。 その運転手さんは、 僕らも一緒にゆかりの地を回ったらどうだと誘ってくれました。 足が痛かったこともあって、丁重にお断りしましたが、 その親切な心遣いに感謝していました。
1時間は待ちませんでしたが、 それに近い時間、僕らは列に並びながら、 またしてもライブの話をしていました。 周りの観客も、やはり話題はひとつでした。
ようやく入ることができた店内には、 剛のポスター、カレンダー、記念写真、 そして、色紙や詩画が飾られていました。 ラーメンができあがるまでのあいだ、 僕らはそれらを眺めたり、 写真を撮らせてもらったりしていました。
ラーメンを作っている親父さんたちと、 剛が一緒に写っている写真、 それから、ラーメンが描かれた、剛の詩画が印象的でした。
高校時代の剛が、しょっちゅう食べたというラーメン。 それは、僕らの期待を遥かに上回る、甘口の、 おいしい、おいしい、ラーメンでした。
東京でいろんなラーメンを食べている僕でしたが、 それらとは、やはり違った味でした。 もう一杯食べたいと思ったほどでした。
海乃屋を出ると、激しい雨が降ってきていました。 僕らはガレージのところで雨宿りをしました。 お店の人は、傘を持って来てくれました。 大丈夫、すぐやみますからと、 僕らはここでも丁重に断りながら、 暖かい気遣いに感謝していました。
「どうして、こんなに暖かいんかね・・・」
「・・・鹿児島だからじゃないの」
鹿児島は、東京暮らしが長い僕らには、 暖かすぎる場所でした。 東京では、親切を装ったワナがそこらじゅうに仕掛けてあるので、 優しい言葉で近づいてくる見知らぬ人には、 最大限の警戒をしなければなりません。 そんな街に暮らしている悲しい癖で、 僕らは純朴な親切を素直に受け入れることが できなかったのかもしれません。
「こっちに何ヶ月か住まないと、うまく応対できん。」
僕がそう言うと、友人が言いました。
「人間、腐っとるから、オレたち。」
僕らは、雨の中で、苦笑いしました。 それからしばらくして、雨はカラリと止み、 強い日差しの太陽が戻ってきました。
会場と別れ、桜島と別れ、そして、 とうとう鹿児島との別れのときが近づいていました。
僕は、雨上がりの道路を歩きながら、 「ガンジス」の替え歌を歌いました。
バイバイ 鹿児島 もっと生きようと バイバイ 鹿児島 オレの命が叫ぶ
さよなら 名も知らぬ 鹿児島の人よ あなたのように 強く優しく生きようと あなたのように 強く優しく生きようと
鹿児島の空で、夏がキラキラしていました。 さらば、鹿児島の夏の日よ。 2004年、夏の日。 忘れられない夏の日。
そしてこれから 東京へ帰る そしてこれから 東京へ帰る・・・
それから4時間後に鹿児島空港を発ち、 僕らは東京に戻ってきました。
桜島での人ごみとは明らかに何かが違う、 都会の人ごみにうんざりしながら、 鹿児島はよかったなあ・・・と、 言っても仕方のない愚痴を何度もこぼしながら、 山の手線に揺られる僕らでした。
続く
<次回予告> 長いあいだ、ありがとう。 次回で桜島ライブのレポート日記、全66話。 いよいよ、完結です。
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