長渕剛 桜島ライブに行こう!
『閑散としたライブ会場を見ましたか?』−桜島ライブ(63) text 桜島”オール”内藤75000人を吐き出していく桜島特設会場。消耗し尽くした観客たちを、太陽が襲う。★長渕剛 桜島ライブに行こう!バックナンバー ←クリック=====================================================さようならの唄 桜島特設会場編僕らには、やり残したことがふたつありました。1つは、休憩時間中にトイレに行くときに見た、ゴミの回収所にゴミを持っていくこと。そして、もう1つは、メモリアルアルバム用の写真を撮ることです。桜島ライブでは、悦子さんが中心となって、メモリアルアルバムを作ることになっていたのです。ライブの写真集でもあり、参加した観客の一生の思い出に残るような、豪華な写真集です。希望者は、そのアルバムに写真を載せることができました。桜島の会場に、その写真撮影場所が設けられたのです。僕らは、ゆっくりと、ゆっくりと、会場の坂を登っていきました。そして、ステージに向かって右側の休憩所に出ました。会場と休憩所を結ぶあたりに、ものすごい量のゴミが積まれていました。あまりにもたくさん積まれているので、そこがまるでゴミを置く場所のようでしたが違います。違うとはわかっていても、急いで帰りたい人たちは、そりゃあ、こういうところに捨てて行くだろうな・・・と思いました。僕らは丘を降り、ゴミ収集場所に向かいました。ゴミの分別が行われていました。僕らは袋を開けて、分別をしてから、それぞれを袋に入れて、持っていきました。食料とゴミがなくなった分、僕らの荷物はずいぶんと軽くなりました。中身がほとんど入っていないリュックだけです。憔悴しきった体には、この身軽さは嬉しい。さあ、次は写真です。そこには長い長い列ができていました。アルバムの振込をしたときの控えを持って、僕らはその列に並びました。2台のカメラで、代わる代わる、スタッフが写真を撮っていました。でも、流れ作業という感じはしませんでした。そのスタッフたちは、僕らに声をかけ、冗談を飛ばしながら、写真を2枚ずつ撮っていました。友人が、受け付けの場所でもらったプレートに、簡単なメッセージを書いて持ってきました。僕らは、それをかざしながら、笑顔で写真に収まりました。桜島ライブが終わった直後の写真。間違いなく、一生の思い出になるでしょう。桜島ライブの記念アルバムの中に、僕らの写真も入るのです。「どえらい楽しみだわ〜。 感想文も載るかもしれんぞ。書いてみれば? 『桜島ライブに行こう!特別編』とか言っちゃって。」友人がニッコリと笑顔で言いました。「日記で書くからいいよ。 そんな何回も書けないから・・・ 写真が載れば十分だよ。」「そうだな。桜島日記があるもんな。」「うん。もう、書きたいよ。すごく。 書きたいことだらけで、どうするよ?って感じだよ。 一日分の日記じゃ、とても書ききれん。」そんなことをしゃべりながら、まだまだ活気でにぎわう休憩スペースを、僕らは歩き回りました。休憩所では、剛のミネラルウォーターを、売り子たちが声を張り上げて販売していました。桜島グッズ売場には人の姿は見えませんでした。開演の頃には、すべて売り切れてしまっていたからでした。ひととおり見て周ってから、僕らは会場出口に向かいました。坂を登って行く途中。何人かの人たちが、死んだように日陰で眠っていました。真夏のオールナイトライブの過酷さ。体験したものしかわかりません。僕らも、足をひきずり、ふらつく足取りで、出口までの坂を登りました。僕らは出口付近にたどり着きました。そこは、Kブロックのうしろあたりでした。よく考えてみたら、どこからが会場で、どこからが会場の外なのか、はっきりとわかりませんでした。はっきりと、会場の境がわからない・・・なんて素晴らしいことなんでしょう。Kブロックのうしろ。ちょうど、剛がバイクで入場してきたあたりでしょうか。そこから見えた会場は、とても閑散としていました。ひと気のない会場。信じられない。さっきまで、75000もの人が、ぎっしりと埋め尽くしていた会場。祭りのあとの寂しさがこみ上げました。溶岩道路に出る付近には、人がぎっしりと埋まっていました。ほとんど動く気配なく、あの、溶岩グラウンドでの時間を思い起こさせるような、どこまで続いているかもしれない渋滞が、観客たちの行く手をはばんでいました。僕らは、急ぐ必要のない観客でした。それなら、急ぐ人たちを先に行かせてやろうと、道が空くまで待つことにしました。問題は、消耗した体には、あまりにも強烈な日差しでした。これは、ただ待っているだけでもたまらん・・・僕らは日陰を探しました。幸いにもその付近にはテントがあり、多くの観客がそこで休んでいました。僕らも、その中に居場所を見つけて、ただひたすら人がはけるのを待ちました。テントの中から、まったく動く気配のない群衆の中に身を置く人たちを見ていました。救急車が何回かやってきました。僕は、担架で救急車の中に運ばれる、力尽きた観客の姿を見ました。動かない人ごみに並び、その様子を見ている観客。みな笑顔なく、ひたすら、太陽と闘っていました。僕は、日陰でひとまず息を整えたら、テントを出て、小高く丘のようになっているところに登りました。太陽の下に出て行くことは、楽ではありませんでしたが、僕はそれでも、もう一度、会場が見たくなったのです。その丘の上からは、海が、空が、そして、会場が見渡すことができました。桜島の会場は、まだまだ、多くの観客たちを吐き出し続けていました。海を背後に静かにたたずむ会場の全景を目にして、僕の胸はしめつけられていました。僕と同じように、その丘から、桜島の風景を見つめ、無言でたたずむ観客たちに紛れて、僕は涙を浮かべていました。やがて、人波が動き始めました。全員が歩を進められるようになったのを見届けると、僕は丘を降り、友人のところに戻りました。僕らは再び荷物をかついで、後ろ髪を引かれるような思いで、溶岩ロードをゆっくりと進んで行きました。容赦ない太陽に照り付けられて、またしても、マフラータオルで汗を拭き拭き、僕らは会場を後にしたのです。続く<次回予告>来るときにはじっくり見ることのなかった、桜島の風景。さわり程度の桜島観光を楽しみながら、フェリー乗り場に向かう。★次の日記 ←クリック