2004年11月10日(水)
『本物の祭りを体験しましたか?』−桜島ライブ(60) text 桜島”オール”内藤
桜島で使った僕のメモです。 やはりこれにメモったことが、日記の背骨になっています。 非常に生々しい言葉たちが、あのときの感動を物語っています。 どうしても読めない字も、多数収録・・・(^_^;)
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M-42 Captain of the Ship (4) −アルバム『Captain of the Ship』(1993)−
テレビのニュースで祭りの映像が流れることがあります。 すごく、盛り上がって見えるものです。 テレビは、ほんの一瞬だけ、 一番、盛り上がって見えるところだけを切り取って見せるから。
僕の故郷の祭りも、テレビに映ることがあります。 東京のアパートの部屋で、 そのほんの10秒の派手派手しいシーンを、 僕は少しむなしい思いで見つめています。
いつのころからか、 かつては楽しみにしていた故郷の祭りから、 僕は遠ざかっていきました。 いつからか、つまらなくなってきて、 いつからか、めんどくさくなってきたのです。
楽しみにしていたときだって、 その祭りをほんとうに楽しんでいたかというと、 そうでもなかったように憶えています。
祭りは、行くまでが祭り。 その場に身を置いた瞬間から、 祭りはどんどん色を失って、 人ごみの中を、ただ、あてもなく、 さまようだけでした。
いつだって ひとつの時代は たった一夜にしてすべてが ひっくり返るものだ たとえ不安という高波に さらわれても 俺たちは生きるために 生まれてきた
上でもなく下でもなく 右でも左でもなく ただただひたすら前へ 突き進め バカバカしい幻に惑わされることなく たただた前へ 進めばいい
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 それがよくわからなくなったころから、 僕は祭りに出かけることがなくなりました。
それは地域の祭りだけではなく、 学校の文化祭にも言えることでした。 中学のとき、クラス全体で文化祭に夢中になった記憶があります。 とにかく、みんなでなにかをやれた気がした。 それだけのことで、なにか意義あることのような気がしました。
しかし、高校に入学するころになると、 何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 僕はわからなくなりました。
それはある意味、 僕という人間の成長、ということなのかもしれません。
模擬店、軽音楽クラブのコンサート、 文化部の研究発表会や展示会、オバケ屋敷、 どろんこになって校庭を走り回るフィナーレ・・・
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 僕はわからなくなっていたのです。
あらゆる挫折を片っ端から 蹴散らし 高鳴る鼓動で血液が 噴き出してきた 俺たちの魂が希望の扉を叩く時 太陽よ! お前は俺たちに明日を約束しろ
そうさ 明日からお前がキャプテンシップ! お前には立ち向かう 若さがある 遥かなる水平線の向こう 俺たちは今 寒風吹きすさぶ嵐の真っ只中
世の中の祭りが、僕の心を解放する力を失ったころから、 僕はミュージシャンに興味を持ち始めたような気がします。 僕は祭りを欲していました。 僕も僕を解き放つ、非日常の時間を欲していたのです。
僕が足を運んだコンサート会場、ライブ会場のいくつかで、 僕は自分が解き放たれる瞬間を、フッと感じることがありました。 僕は、その瞬間が忘れられず、 その瞬間を求めて、 そんな瞬間を与えてくれるアーチストに、 心を奪われるようになったのです。
Captain Ship! ウォオオオ! 孤独などガリガリ 食い散らかしてやれ! Captain Ship! ウォオオオ! 吠える海の力を 命に変えろーーっ!
ヨー!ソロー! 進路は東へ! ヨー!ソロー! 夕陽が西に沈む前に! ヨー!ソロー! 確かな道を! ヨー!ソロー! 俺たちの船を出す!
『Captain of the Ship』を歌いながら、 瞬間というには、あまりにも長い時間、 僕は僕という生身の姿を、ありのままの姿を、 体全体から解放していました。
こんなに長い時間、叫ぶことがあっただろうか。 こんなに長い時間、歌うことがあっただろうか。 こんなに長い時間、燃えることがあっただろうか。
『Captain of the Ship』の30分近い演奏時間のあいだ、 僕の心も体も跳ねるように踊り、 僕は剛に向って一直線に感情をぶつけ続けました。
何に心を躍らせればいいのか、 何に感情をぶつければいいのか、 そんなことを考える暇がない。
いかした音楽が心を躍らせる。 いかしたアーチストが感情をゆさぶる。 これこそが僕が求めていた祭りでした。 本当の情熱にあふれている祭り。 震えが来るほどの壮大な舞台。
神輿でも、仏像でも、大木でも、 車輪のついた大げさなハリボテでもない。 年に一度しか張り切らない近所のオッサンでもない。 学生の部活や同好会の活動の総決算でもない。 祭りの象徴は、長渕剛。
新幹線で、飛行機で、長距離バスで、 75000人が飛び乗って駆けつけた。 本物の熱気と、本物の情熱が波打っている、灼熱の祭り。 これだ。 こんな祭りの真っ只中に、身をゆだねてみたかったんだ。
ヨー!ソロー! 進路は東へ! ヨー!ソロー! お前が舵を取れ! ヨー!ソロー! こんな萎えた時代に! ヨー!ソロー! 噛みつく力が 欲しいーーっ!
剛の声がうなりを上げていました。
あの『Captain of the Ship』の、 狂ったように叩きつける言葉たちは、 ガラガラに磨り減った剛の喉を通り、 ところどころ聴き取れず、 正しい歌詞を歌っているのか、 アドリブで歌っているのかさえもわからず、 言葉ではなく、叫びでしかなく、 悲鳴のようでもあり、嗚咽のようでもあり、 しかし、 そういうことなど、もはやどうでもよく、 声にならない声を、 喉の血管を浮き立たせ、 必死にしぼり出そうと吠え続けるその姿を、 見守り、共に叫ぶことができたことが、 僕はたまりませんでした。
嬉しくてたまらなかったのです。
続く
<次回予告> あと、一回だけ、『Captain of the Ship』。 あの時間・・・あれは僕にとって何だったのか。
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