東京で暮らしたことはありますか? (桜島ライブ52) |
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2004年10月30日(土)
『東京で暮らしたことはありますか?』−桜島ライブ(52) text 桜島”オール”内藤
剛にとっての故郷の味、海乃屋ラーメンを剛が訪れたときの写真。 海乃屋ラーメンの店内に飾られています。
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M-37 東京青春朝焼物語 −アルバム『JAPAN』(1991)−
今でも不思議に思うことのひとつなのですが、 ライブの定番曲というものの条件とは、 いったいなんだろう。
剛のライブで言えば、 『巡恋歌』 『勇次』 『泣いてチンピラ』 『STAY DREAM』 『とんぼ』 などが定番曲で、
『ろくなもんじゃねえ』 『家族』 『いのち』 『SUPER STAR』 『人間』 などは、人気がある曲だけど定番じゃない。
定番曲はもちろん素晴らしい曲ばかりだけど、 定番じゃない曲が劣っているかというと、 そうでもないように思えます。 それなのに、残る曲、残らない曲がある。 そこには、何らかの基準があるのでしょう。
それはもちろん、厳格なものではなくて、 例えば、安定して歌いたくなる歌詞であるとか、 ライブで独特のムードを醸し出すメロディがあるとか、 はっきりと目に見えない基準なのだと思います。
JAPANツアー以降、定番、と言っていいラインナップに、 新しく加わった曲がありました。 出発点、原点、という言葉を感じさせる曲でした。 ファンの中の心の一部分に、確実に共振を起こす何か。 その何かを持っている歌でした。 新しく何かが始まる予感というよりは、 スターティングオーバー。 何かをやり直すときの覚悟に、少し物悲しく馴染む歌です。
ステージでは、ギターとハーモニカの剛。 わずかな時間で次の歌に気持ちのギアを切り替える。 ハーモニカを吹き鳴らし、ギターのコードを確かめる間にも、 数え切れないほど、名前を呼ばれながら・・・
両足が 鉄の棒のように 痛かった お前と二人で 不動産屋を廻った はり紙を 何度も 何度も なぞりながら 井の頭線で 五つめの駅で 降りた
愛想の悪い酒屋で 俺は缶ビールを買った 植木鉢の下に 鍵を置く事に決めた 荷ほどき できない ダンボール箱を 背中にして 俺たちは えびのように 丸くなった
歌詞のように、 鉄の棒のような両足で、リズムを取りながら、 僕も剛に合わせて歌いました。 休憩時間を除いても、 かれこれ、6時間は立ちっぱなしでした。 ライブ中に腰を降ろすことは、 第三部、ここまで、ついにありませんでした。 きっと、最後まで、立ちっぱなしでしょう。
あの日の不安よ、あの日の覚悟よ、 俺たちの定番、『東京青春朝焼物語』!
今日から俺 東京の人に なるー! のこのこと 来ちまったけどー! 今日からお前 東京の人に なるー! せっせせっせと 東京の人に なるーっ!
地方から上京してきた人は、 剛のファンになる確率は高いと思います。 剛の歌の中に、共感する部分が多いから。 剛の歌の中に、自分の姿を見つけることが多いから。 僕もそうなのです。
桜島で歌いながらも、心は、15年前の、 トラックで東京に荷物を持ってきた日に飛んでいたのです。 剛の歌のように、二人での上京ではないけれど、 そのぶん、そんな上京への憧れを、 あのときの、不安な、泣きたいような気持ちを、 歌が綴る物語と混ぜ合わせて、 剛の歌う、この歌を噛み締めているのです。
二人でおんぼろの 自転車に乗り 野良猫のチロを お前は拾ってきた 不釣合いな花柄の カーテンには 困ったけど 南向きの窓が たまらなく よかった
豆腐屋のばあさんは ゴムのエプロンに 長靴で いつもそこら中に 水を まいていた 「ごめんよ」がこのばあさんの いつもの挨拶で そこを通るたびに 笑ってた
この曲を聴くと、なぜかいつも思い出すことがあります。 特にとりたてて、 歌の内容と強い結びつきがあるわけではないのですが、 それは、5年くらい前に故郷の幼なじみにあったときのことでした。 たしか、小学校の同窓会のようなものだったと思います。
東京での最近の暮らしの様子を、問われるままに、 僕はその友達に話していました。 僕らのような山奥の村で少年時代を送った者でも、 たくさんのクラスメートたちが、上京した経験を持っていました。 二十歳前後、多くのクラスメートが、夢を抱き、上京したのです。 その中には、僕も含まれているのです。
その集まりの会話の中で気付いたのですが、 そんなクラスメートたちも、ほとんどがこの故郷に戻ってきていました。 まだ東京で暮らしていたのは、ほんの数人になっていました。 その数人の中の一人である僕に、Mくんがいいました。
「俺もそうだけど、一度は東京に出て行く。 みんな、5年もすればあきらめて戻ってくる。 でも、おまえの話を聞いていると、 戻ってくる気が全然しない。 10年、東京で頑張るって、根性あると思うよ。 俺は3年が限度だったけどさ。」
なぜか、そう、Mくんに言われたことを、 必ずといっていいほど、この曲を聴くと思い出すのです。 Mくんは、そのあと、こうも言っていました。
「負け惜しみじゃないけど、 戻ってきて、やっと俺の人生が始まった気がする。」
僕には、Mくんが言いたかったことの意味が、 よくわかった気がしました。 戻ってきたって、人生に負けたことにはならない。 Mくんはそう言いたかったのではないかと思います。
カンカーンと遠くで 踏切が 鳴いてた 夕暮れ時の雨は 嫌だった つっかけを履いたまんま 女ものの傘をさし 角のバイク屋へ 空気入れを 借りに行く
鉄柵の 向うからは 空が 見えなかったけど 暮らすのに 何の理屈も いらなかった ただ初めて お前の 台所に立った背中を 抱きしめたのは ささやかな 俺の覚悟だった
上京したころの僕のアパートも、 近くで踏切の鳴く音が聞こえるところでした。 あの、薄暗い街の路地の湿った空気を思い出します。
秒針が刻むような、チクタクという音が、心に突き刺さりました。 その音をバックに、この曲で僕が一番好きな、 踏切のフレーズを、ささやかな覚悟のフレーズを、 剛はいつものように大事に、大事に、歌ってくれました。
今日から俺 東京の人に なるー! のこのこと 来ちまったけどー! 今日からお前 東京の人に なるー! せっせせっせと 東京の人に なるーっ!
多くのファンが、 「東京の人になるーううーううー」 「来ちまったけどーおおーおおー」 と歌っていました。 なぜかむしょうに寂寥感(せきりょうかん)が沸きあがるのです。 あの歌い方には・・・
だから、僕は、剛に合わせて普通に歌うのです。 歌いながら、あらためて覚悟するのです。 せっせせっせと東京の人になる覚悟を。
一心不乱に吹き鳴らすハーモニカ、 一心不乱に掻き鳴らすギターストローク、 寂寥感を振り払うかのように、 剛は物語のフィナーレを演じていました。
またしても、いつも歌うこの歌を、 桜島でも歌えたことのしあわせを、 噛み締めている僕でした。
そして僕は、辺りの夜の密度が、 少しだけ薄くなっていることに気が付きました。
振り返って桜島を仰いでみると、 ずっと真っ暗闇の中でたたずんでいた桜島の背後に、 うっすらと白く、稜線が浮き出ているのが見えました。
とうとう・・・夜明けです。
続く
<次回予告> ライブの始まりから、僕らがずっと向かっていたのは、 「明日」!「明日」!「明日」! その「明日」がついにやってきた! ここまできても体力十分!見捨てたもんじゃない、この僕も。
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