2004年10月18日(月)
『故郷を捨てましたか?』−桜島ライブ(44) text 桜島”オール”内藤
物事には必ずやってくる終わり。 充実感と、感動と、寂しさを抱いてフェリーに向かう人たち。 またどこかで会おう・・・そして、また、いつか、みんなで・・・
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M-31 乾杯 −アルバム『乾杯』(1980)−
「雨ニモマケズ」
雨にも負けず 風にも負けず 雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいと言い 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに わたしはなりたい
(宮沢 賢治)
あまりにも有名な詩、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。 僕は小学校のころ、この詩を授業で習いました。 珍しく印象に残る詩で、かなり好きでした。
もっとも、授業で習った詩で、 印象に残っている詩というのはこれくらいのもので、 僕にとっての詩といったら、 あとは全部といっていいくらい、「歌詞」でした。
今もそうですが、僕は歌番組が昔から大好きで、 観ることのできる番組は、全部というくらい、 片っ端から観ていましたが、 テレビで歌うアイドルたちは、 見るぶんにはいいけど、歌っている内容は、 なんかつまらないものが多いなあと思っていました。 「雨ニモマケズ」のような歌詞は、 なぜかないんだよなあ・・・と。
そんなある日、当時の担任の先生が、 クラスで朝、歌うためにと紹介してくれた歌がありました。 それは、まるで、現代版の「雨ニモマケズ」でした。 詩しかない「雨ニモマケズ」に比べると、 メロディがあるので、歌えて、 歌えるから、もっと、自分のものになった気がするという、 そんな、素晴らしい歌でした。
ここまでは、前置きです。 20年以上、時計を進めて、 2004年8月22日、桜島、午前3時半過ぎへ。
♪♪♪♪♪♪♪♪・・・
ステージでは、バンドメンバーがピアノを残して、 剛の周りに集まってきていました。
こんな光景を、10年以上も前、 何度も見たことがある・・・ あれは、確か、JEEPツアー。
その後も、何度かライブでも聴くことができた、あの曲。 この曲に出会うとき、僕は、ほぼ条件反射的に、 あの教室の匂いを、授業の雰囲気を、 窓の外に広がる懐かしい田園風景を思い出すのです。
光り輝く日々よ、『乾杯』!
固い絆に 思いを寄せて 語り尽くせぬ 青春の日々 時には傷つき 時には喜び 肩を叩き合った あの日
誰もが認める、名曲中の名曲。 当然、大きな拍手が沸き起こる。 そして、もちろん、大合唱。
すらすらと、何も考えずとも、出てくる歌詞。 あのときのクラスメートの、垢抜けない後ろ姿が、 桜島のA-5ブロックの観衆の後ろ姿と重なりました。
あのころ、毎朝、8時半、 僕はあの教室で『乾杯』を歌っていました。 何も変わらない。 歳も取ったし、体も大きくなった。 でも、『乾杯』を歌うときの想いは、 あのときと何も変わらないんだ。
あれからどれくらい 経ったのだろう 沈む夕陽をいくつ 数えたろう 故郷の友は 今でもきみの 心の中にいますか
今だからこそ、より胸に響く歌詞もあります。 あれから、20年以上。 それなのに、僕はこの部分の歌詞を歌って、 新たな感動と少しの寂しさを胸いっぱいに感じます。 少しの寂しさ・・・その理由は、 故郷の友は、今、僕の心の中にはいないからです。
剛の真似ではありませんが、僕は故郷を捨てました。 故郷を捨てて、東京に出てきました。 体が動かなくなったら、戻ろうかとは思っていますが、 東京で、頑張るんだと決めています。 故郷でかんばろうとは思っていません。
故郷は、僕がそう決心してから、 どんどんその存在が薄くなっていきました。 たまに帰ったときに、それを実感します。 かつて心踊った祭りも、他人事になり、 かつて共に時間を過ごした友人たちからも、 僕は遠ざかっていきました。
乾杯 今 きみは人生の 大きな大きな舞台に立ち はるか長い道のりを 歩き始めた きみにしあわせ あれ
この歌を歌いながら、懐かしさと共に、 喪失感をこれでもかと感じている僕がいます。 故郷を捨てたときから、なにかの歯車が狂い始め、 それを解消しようとする努力を、 もう10年以上も、続けているような気がします。
ちょっとほろ苦い『乾杯』。 この曲もまた、剛にとってはもちろん、 僕にとっても大切な曲です。
剛がバンドに指示を出し、演奏が止まりました。 楽器の音が完全になくなりました。 剛の歌声もない。歌っているのは観客だけです。
乾杯 今 きみは人生の 大きな大きな舞台に立ち はるか長い道のりを 歩き始めた きみにしあわせ あれ
7万5千人のアカペラによる『乾杯』に、 背筋を走りぬけるような感動を感じました。 鳥肌が立ちました。 CDが発売になったら、ぜひ、聴いて欲しい。 ほんの数小節だけど、 僕には忘れられない桜島名シーンのひとつ。 何もないことが、何もしないことが、 桜島ライブを通しての、最高の演出となったのです。
実に、深夜、3時半。 7万5千人の生声だけが聞こえています。 なんていう非日常。 ニ度と出会えない、こんな空間には。 そして、それだけじゃない。 このアカペラ大合唱を、聴いているのは誰だ?
剛は、マイクを差し上げ、観客の歌に耳を傾けていました。 わずかな時間ですが、あの長渕剛が、 7万5千人の合唱の、オーディエンスになっているのです。
そう、この日に限っては、剛だけのライブじゃない。 僕らのライブだ。 自分の、ライブ、なんだ。
きーみに しあーわせー・・・・・・ あーー! あーーーーー! あーーーーーーーーっ、 れええーーーーっ!
剛も加わって、『乾杯』のフィナーレ。
故郷を捨てた。故郷の友だちを捨てた。 喪失したものは大きい。 まだまだ時間がかかるでしょう。
遥か長い道のりだ。 これからも歩いて行くんだ。
雨にも負けず、風にも負けず、 雨に打たれても、風に吹かれても、 信じた道に背を向けずに。
しあわせになろう。 しあわせになるぞ。
きっと、いいこと、あるぞ。
僕に、しあわせあれ、だ。
続く
<次回予告> あるとは思わなくなっていた、第2部のエンディング。 しばしの別れを告げたのは、ZEPPでラストを飾った聖なる歌。 そして、桜島は再び、深い眠りに就いていきました。
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