酒井順子 新潮社 2006年
京都に通った時期がありました。 それは私にブームが来たのではなく、友人に来ていたのです。
私は近年「絶対にここに行きたい!」というものが薄くなってきていて 親しくしている人がそんなに好き・行きたいのなら〜と付き合うのが結構好きです。 職業的にも、なんでも知っておくと役立ちかもしれない、 それには自分の好きだけではダメだと、ちょっと強迫観念めいたところもあります。 しかし、それだけに能動的に何かをするわけでもなく、物事に詳しくなることもないので、ちょっとダメなんですが。
京都はまた自宅から日帰りでいける、子どもの頃から遠足などででかけた場所であり、 親戚、友人も住んでいる場所であって、そこがまた私にはあまり熱心に探索するぞ!という気迫が希薄でした。
京都に住む友人の地元愛や他県に勤めながらも京都愛ゆえに移り住んだりする人から特別な感じのする京都なのですが せっかく近くなのに、京都愛がほとんどない私ってもったいないな〜なんて思ったりしていました。
そして酒井さんの本は、まさに京都愛、京都を愛でる都からの訪問者で 観光ではない京都を満喫している感覚を知ることができます。 なんとなく京都を満喫していないと後ろめたさを、この本を読んで楽しみを知り いつか私も・・と来ないだろうけど・・と思わせるのです。
前半の都と京の比較が面白く、酒井さんの真骨頂といえましょう。 コラムの部分はきわどさがあるのですが、彼女の持ち味故ギリギリセーフ。
東京は常にハレの日、京都はハレとケの日がわけられている。 祭りにもあてはめられています。 東京のように地方も変わっていくとしたら ハレとケがわけられなくなっていくことだとしたら・・ これは京都を参考にしたほうが断然いいと思いますが、無理でしょうねえ。
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