2007年06月06日(水) |
細かいことは気にするな! |
ちょっと古いけど文藝春秋5月号を見ていたら、普段は読まなさそうな人の記事が面白かった。 それは渡辺淳一「鈍感力」問答 鋭い人は大成しない〜と玄侑宗久「江原啓之ブームに喝!」
〜「鈍感力」と「鈍感」は違う。単に気が付かない、気が利かないのは「鈍感」 何かを貫くために、あえて周囲に対して脇目を振らず、物事を押し通す鈍さが「鈍感力」となる〜 とありまして、まことにその通りだと思います。
仕事は優秀だけど切り替えられないA君と平均的な仕事でも叱られても翌日になったら何事のなかったように笑顔で出勤できるB君はB君のが伸びる社員とありましたけど 仕事は平均的にできない上に、叱ると切り替えられないばかりか、もっとダメな態度に出る人のが多いんじゃないの?とやさぐれてみる。 ウチだけかな〜〜? 叱られなれてない若者がダメなのは、なんとなくわかる。 自分の子が叱られたら、怒鳴り込むという伝説の親が、自分の子どもを自らダメな子に仕立て上げているのも間違いないですね。 伝説の親にあったことないからわからないけど。本当にいるのかな。 親のレベルで人間関係が崩れちゃってるってことだろうけど。
〜明らかな間違いを犯していながら居座ってる政治家たちは、ただ図々しくて鈍感なだけで「鈍感力」とは違うとあるのですが その名指しで言われた大臣はもうこの世にはいません。そこまで鈍感ではなかったってことでしょうか。
何はともあれ、あまりにも神経質に、そしてその神経質さが自分だけに肥大し、過敏になってる世の中は生き辛いということですね。
もう1つの話は、江原さんを糾弾しているのとは違います。 ブームを、そういう現象を憂えているということですね。 ブームを批判する側、支持する側にも「正しさ」や「1つ真実」に限定しようとするその心の狭さを暴いているのだと思います。 なんでも科学で解明できないと、あやしい不確かなものは排除しないと、 あるいは、盲目的に1つの考えの固執することが危険ということなんでしょう。
現代の病には必要な「鈍感力」と「スピリチュアル」もしくは「不思議であいまいなもの」 今は、ヒロヒリするような鋭敏さと自分だけに固執する世界なのね。
私も占い師の弟子ですので、とくに後者のいいたことはわかります。 占いは当たる当たらないの問題ではないと、その人が楽になれば、それは必要なものなのだと思います。
でも、その「楽」になるために盲目的になり、不幸を引き寄せないような知恵は必要だということですね。
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