だから猫が飼いたいのに・・

2002年05月07日(火) 火の無いところにも煙はたってしまう?!

4月11日(木)「おもいでのばしょ? 」で遊園地の話をして、某阪●パークが閉園していたと書きましたが
4月25日の読売新聞に「今度閉園します」とあるではありませんか。あ〜やっちまった。
他人の話を確かめもせずに信じて書いていてはダメですね。
阪●パークのサイトでも確認しましたが遊園地施設は縮小したけど、ちゃんと営業していたそうなのです。しかし今度は本当に遊園地部をなくして住宅展示場になるそうです。
こんな風に事実でない噂がどんどん広まり、本当になってしまう。(阪●パークが噂のせいで閉園したなんて思ってませんが(^^;)
「噂」の恐ろしさは何も「火星からの浸入」「オルレアンの噂」など紐解かなくてもこの身で充分にしっているはずなのに。それなのにやっちまった。すみません。

数年前に自ら体験&直面した噂の恐ろしさたち
例1.某アミューズメントパークに誘拐犯が出るとの話を知人より実しやかに聞かされて信じてしまった。
後日、全く根も葉もない噂として、新聞や関連の記事などでその発生の仕組みなどを知り、顔から火が出そうに恥ずかしい思いをしました。
信じてしまった事実も、うっかり数名の知人たちにも話してしまった事も恥ずかしい。

例2.個人の趣味で作成している(非営利目的である)サイトのBBSでちょっとした失言をきっかけに、それを見た人が過剰に反応し、サイト作成者に圧力かけるべく、そのサイトの常連さんたちや周辺の関連サイトの主催者を巻き込み、デマを流した。
事実を確認する術もなく、デマの内容ももちょっと有りそうだったりして、パーっと噂が多方面に流れてしまい、情けなくも気分のよろしくない問題になってしまった。
この説明ったらわかりにくいなあ。
でも細かく書くと差し障りがあるので、別の世界に置き換えましょう。
例えばAさんがのスポーツ選手Xの非営利・未公認ファンサイトを作っていたとして、Aさんが自サイトの掲示板でそのプレーの動向がいつも比較される例えばY選手の批判を書いたとしましょう。それが筆が滑ってとでもいうのか、誰が見ても、かなり言い過ぎだったとします。
それを見た批判されているY選手の公式サイトを請け負っているファンBが過剰に反応して、Aを攻撃し始めた。
それは掲示板上だけで討論してやっつけようと思って済んだら事はもう少し単純だったのですけど、Bは他のファンたちを味方につけるべく根回ししてから追い込む手段を取ったとします。
この場合「Aさんたらひどい発言してるのよ〜」的な話では「それはひどいねえ」で終わってしまい、それでは気が納まらないのか。過剰ファンBは寅の威を借るキツネ作戦に出たのです。
「批判されたY選手もお怒りになっている、名誉毀損で訴えるといっている。X選手に対しても不快感を表している」という話も同時にしたとします。
それを聞かされたファンたちは「ええ?そんなことあるの。」と疑ったとしますが、Y選手に本当かどうか確かめる術はありません。
しかし全く噂を無視するのも不安ではありました。噂を流している人物BがY選手の認可の元でサイトを運営しているという事実が、聞き手の判断を狂わせるのです。
※んなアホなことあるかいな、とお思いでしょうがこの話はあくまで例えとしてですので、世界がスポーツでなく、もっと小さなコミュニティだったらとお考えください。

それから少し時間がたってから、これらの噂話は信じる必要もない、関係ない話として全ての人が無視するべきだったと思う事になるのです。
そして噂を流した人と加担してしまった人(故意でもそうでなくても)ファンであるということ事をよく考えないといけない事例だと思います。
例えばY選手がお怒りになったという事が事実でなかったら(事実でないのですけど)Y選手の名誉毀損をしているのはY選手のファンだということになるでしょう。それに他の人も加担することになってしまうからです。
しかし噂はなかなか納まらず、Bさんは引っ込みがつかないのでとにかく嘘を重ねることになります。
結局、誰も楽しい思いはせずに、いやな気持だけ残った結末を迎えるのです。

更にこの話には実は大どんでん返しがあったりもします。
この噂話を大きくしたのはY選手のファンBが中心かと思いきや、実はトリックスターとも言えるべき別の人物がいるという事です。実際、噂を聞かされた人のほとんどがトリックスターからなのです。その人が中心となって、しかしあくまでY選手のファンBを盾に広げて行ったのです。その根底には、個人的にAという人間をこてんぱんにしてやろうという私怨があり、X選手やY選手がどうだろうとしったこっちゃないというのが本音でしょう。
そしてトリックスターはそういう噂が広まっている間、自分がこの世の中を動かしているような気分になっていて大変愉快だったと思われます。
愉快というとトリックスター自身は否定するかと思われますが、自分が話題の中心になって、他人から注目されたいという行動がその人物から発せられていたので、その時の自覚している気持はどうであろうと、非常に心地よいことだったと思われます。
このトリックスターの事情などもちろんBさんも世間も知る由もありません。
かくしてまんまと術中に陥ったのでありました。
しかしトリックスターも結果的に何も得るところはなかったと思われるのでご安心ください。まあ一時は時の人になったのだから本望かもしれませんが。

ちろん、この例2の話も私というフィルターを通して見た話です。
100人いれば100通りの真実があるのでしょうから、私の見方が絶対に正しいとはいえません。
しかし、私の立場はかなり客観的立場にありましたので、かなりいい線いっていると思います。おかげでしたくもない勉強もたくさんしました。

ある日、噂が舞い込んできます。
それが取るにたらないモノでその場ですぐに消化できるものならラッキー。
見過ごせない、不安感を煽るものだった時に、自分の判断力が問われるのです。
信じたい人、共感して仲間になりたいなら、そうしてずっとお互いを暖めあっていればいいのだと思いますが、そんな時間を過ごすのがのもったいない人、賢く生きたい人は自分に関係ない話は決して噂話をそのまま流すことなく、コンピュータウィルスみたいに削除することがいいでしょう。

しかし私自身、そうして噂やデマの仕組みを知っていながら、度々同じ過ちを繰り返してしまいます。それはやはり信頼している人や親しい人の話を疑うことになれていないからなのです。
知らない人間の話なら十分吟味して聞くことが出来ても、信じきっている人の、しかも相手もデマだなんて思っていないときが危ない。

もし信頼も親しくもない人の話でも、それが自分にとって愉快だったり、欲を満たすものであれば尚更それにのっかってしまうかもしれないし、噂を流す赤の他人もその辺心得ていて、きっと自分に同情や共感を持ってもらえるように話を進めるでしょう。
噂やデマに限らず、美味しい話には気をつけなくてはなりません。
親しさや愛情、欲などとは別に理性的な部分でも話を聞く訓練は本当に必要だと私は思います。
あとは自分で確認できる事は確認することという癖ですね。
そうでないと知らないうちに誰かに大変な損害を与えてしまうことになるかもしれません。
本来、デマや噂というもの行き着くところはそのようになっています。
教訓、他人の話を鵜呑みにするな、他人に話すな。て所でしょうか。
オマケ、安易にファンに公式サイトを作ってもらうことなかれ・・?

「現代は物事はエスカレ−トする傾向にあるという。
点のような火種は風に吹かれてあっという間に燃え広がる。
引っ込みがつかなくなった炎は風の向くまま、気の向くまま。
余裕で見ていた人々も、いつしか止める手立ても、チャンスも失われる。
確実に被害者は存在しているというのに。」

★興味のある人へのお勧め文献
・現代のエスプリ
流言、うわさ、そして情報:噂の集大成 佐藤達哉編 至文堂 1999年
劇場型社会 藤竹 暁編 至文堂 2000年
思いやりの心理 菊川章夫 至文堂 1991年
偏見とステレオタイプの心理学 岡 隆他編 至文堂 1999年

過去にどんな噂が広まったか教えてくれる面白い文献。古いけど。
・うわさ J.N.カプフェレ 古田幸男  法政大学出版局 1988年
・オルレアンのうわさ モラン著 杉山光信訳  みすず書房 1973年
・火星からの侵略 キャントリル著 斎藤耕二 菊地章夫訳 川島書店 1971


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美功 [MAIL] [HOMEPAGE]

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