週末が盛りだくさん過ぎて書けなかったバレエのお話。 金曜日、やっと音楽に乗れて最初のフレーズだけでも踊れた。(えらいこっちゃバレエ2で書いている振り付け部分。)
私の前に振り付けの稽古していた人があまりにきちんと踊れていて(その人は私より3ヶ月しか差が無いのにエライ違いでした)その後に踊るのはかな〜り辛いことでした。先生に「辛い・・」というと「辛くない!」と切り返されなんとか踊る。 2、3回繰り返してなんとか乗れたのでした。本当にやれやれ。でも嬉しかった。本の数歩で終わってしまう所だけど この年になって、毎日進歩が見えることってなかなか無いですよね。
振り付けの練習が始まってから、どうしても音楽に合わなくてとっても辛かった。頭ではわかっているのに身体は全くいうことをきかない。 本当に身体の隅々まで自由自在に動かすなんてことは簡単ではないと、今までもわかっていたけどこうして身体を動かすことをやっていると本当に実感する。 どんなスポーツでもそうだろう。(スポーツに限らないか)何度も何度もおんなじ動作を繰り返して、身体の芯に覚えこませる。自然に考えなくても出来るようにする。そういう練習をしている選手をただ見ている事が多かったけど、それがどういう事かなんてよくわからなかった。 もちろん今だって、本当になんてわかっていないんだけど、糸口があるという事がわかったかもしれない。
スキーやテニスをすることに夢中になったこともあったけど、決して練習をすることに夢中になっていたのではなかった。 スキーろくに練習もせず、ただ滑っていただけ、でもそれが楽しかった。テニスはスクールに自分で習い始めたけど、すぐに苦痛になっていた。ようするに遊びでゲームをするのが楽しいのだった。 そんな風に私は他のことではここまで何度も繰り返す事ができなかった。飽き性で長時間集中できない私は同じ事を繰り返す事がひどく苦痛だったのだけど、バレエに関しては違っていた。 踊る、という所までいかない、つま先を伸ばしたり、膝を曲げたりするだけ。そんな同じ事をずっと何度も繰り返すことが苦痛でないなんて、私に起きるなんて信じられないこと。 でもそういう事が出来る人が実際にいる。それはとっても不思議で特別なこと。だから別世界の出来事をお客さんとして観てる。でも今私はお客さんではなくなっているのです。 きっと最初から、お客さんでなかった人からしたら、私が不思議に思う事自体が不思議なのでしょうね。好きなことを好きなだけすることが苦痛であるわけないんだから。 でも、そんなに好きな事がどんな事でどんな風になるかなんてやっぱり体験してみないとわからない。 そこで「好き」という言葉が適切なのかは疑問なのですけど、私自身バレエがこんなに好きだとは思ってなかった。 「観る」としては順位はサッカーや本に負けていたし、「踊る」事が好きだなんて事も一度の自覚したことない。 今も「踊る?・・ぶるる、とんでもない。」と口走ってしまいそう。 全く正体不明のこの気持ちとこの状況。お客さんでない当事者になってみないとわからない事。 自分にとって特別だったことが当たり前の世界変わることは大変エキサイティングなことです。 それは特別な時間が長ければ長いほど、より奇跡に近い驚きになってしまう。
もう少し若い頃に始めていれば〜と思わないでもない。でもこれより若くてもダメだったかも。本当に人前で踊るなんて恥ずかしくて出来なかったもんよ。逃げていたね。絶対(笑)年をとれば図々しくなるから平気になってくということかなあ。 いくつになっても遅いってことはない。その時でなくては感じないことや出来ないことだってあるはずだから。
例えば、お稽古のあと友人と美味しいお店でサッカー談義。ワインがよくまわって酔っているのもあるけど ものすごくありがたいと思えた。もう少し若い頃は、こんなひと時を標準の事として受け止めていたと思う。若さゆえの傲慢。 でも今は格別、幸福に感じる。少し過去の私なら味わえなかった幸福感。やっぱりこのめでたい性格故なのかなあ。 なんだか書き出しの計画と違った支離滅裂な内容になってしまったわ。
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