私が涙を流す時、悲しいとか寂しいとかいった理由のことはほとんどなかった。 その割には涙もろいのだ。 もらい泣きが一番多い。人が涙を流す姿を見ると条件反射的に涙が出て来る。TVや映画を見て泣いてしまうのも、登場人物が涙を流しているからではないだろうか。
自分の事で泣く時、一番比率が大きいのは悔しい時である。自分の意思を相手に上手く伝えられない時、理不尽な叱責を受けた時、不当な評価を下された時。 くだらない、根拠のないプライドを傷つけられた時だ。 今まで自分が泣いている姿を回想すると、そんな時の情景しか浮かんで来ない。 勝負が嫌いなのは、負けず嫌いだからなのだ。
ましてや色恋沙汰で涙を流すなんて事があっただろうか。 恋愛中に泣くのも、逢いたい、とか切ない、とかではない。たいてい涙は大喧嘩の最中、怒りと共にあった。 人を求めるプリミティブな感情、一番弱い私は幾重にもプロテクトされ、外側の気の強い我の強い誰かが代わりに涙を流す。 誰かを求めながらも、目の前にいる相手を求めていた訳ではなかった。
純粋に誰かを想って流れる涙は甘美なものだろうか。 ひび割れつつある硬いけれども薄っぺらな殻からは、そのうち何匹もの単純化された感情を持つ私が産まれて来るだろう。 私の感情のひな達を両手で優しく掬い上げてくれる人(がいるならば)その人のために涙を流そう。 ちっぽけなプライドで色付けされない涙を。
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