* |
Index|Past|New |
つぐみの姫君とその下僕。 | 2006年12月05日(火) |
ハイハラグーンの歌姫姉妹のことならば、石畳を裸足で走り回る五歳の子供でも知っている。 姉姫は艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、愛らしい小さな唇で、さえずるように歌を紡ぐ。美しいかんばせに笑顔は絶えず、小鳥のような有り様に、ついた仇名は鶫姫。 その目は光を知らないが、軽やかに喜びを謳い上げるその声に、罪人ですら希望を見出し涙するという。 妹姫は肩ほどまでの黒髪に、そらすことを許さぬ強い瞳をもって、あらゆる歌を朗々と歌い上げる。魂を穿つその歌声は空前絶後、世界の至宝、楽の音を好む竜王ですら彼女の前には頭を垂れ歌を乞う、とひとびとは讃える。 * 宴を終えた鶫姫は、自室に戻ってそっと溜息をついた。 常に彼女の傍に控える従者が、耳聡くそれを聞きつけて眉をひそめる。 「リューディア、疲れているようならば――」 「違うわ、ミスラ。……私はどうしてこう才能がないのかしらと、ちょっと思ってしまっただけよ。あの子と比べるのは無意味だと、誰より私が知っているのにね」 通っている学校が長期の休暇に入ったからと、父親に呼び戻された不機嫌なクリスティアーネは、やはり彼女の都合を無視して開かれた宴で歌を望まれた。 自分は感情のままにしか歌えないがそれでも良いのかと問われ、頷いた聴衆に向かって彼女はひとつの歌を紡いだ。 とある歌曲の一節、良家の令嬢が望まぬ夜会に連日駆り出され、「どうしてお父様は私のお願いを聞いて下さらないのかしら、見世物になるのはもううんざりよ」と不満を誰にともなくぶつけるという、まさにクリスティアーネの現在の状況そのままの歌である。 けれどその歌は、宴に出ていたひとびとの心全てをあっという間にさらっていった。 美しい声を聞く、酩酊するような快さと、聴くものの心を跪かせ、歌声にこめられた不満を自身の感情と錯覚させかねない強さにあてられ、大半のひとびとはその場を辞してしまい、その流れのまま、夜会は終わってしまった。 「自分の感情に従ってでしか歌えないとは、彼女はまだ歌姫としては未熟なのでしょう」 心を酔わせる歌声には慣れているミスラは冷静な顔を崩さずに言ったが、リューディアは小さく首を振った。 「ミスラ、……あれはね、あの子が歌を聴かせたいと思っているひとがその場にいなかったから、あんな荒削りでどうでもよさそうに歌ったんだわ」 「つまり、歌いたくないけれどしょうがないから適当に歌ってすませようという自分の感情に忠実だったということでしょう」 いつものことではあるが、どこか刺々しい従者の反応に、姫君は苦笑をこぼして肩を竦めた。 「ミスラはクリスティアーネが嫌い?」 「素晴らしい才能とは思いますが、興味はありません。私が望む歌姫は彼女ではなくあなたですから」 迷いなく断言する声に、彼女は不思議そうに瞬いて苦笑すると、ミスラの方を振り向いた。 リューディアの目は現在、完全に見えないわけではない。以前はそうだったが、ここ数年で光の明暗や、顔を限界まで近づければ、おぼろげながらもかたちや色を見て取ることができるほどに回復している。 それでもこの距離では彼の姿を捉えることはできないはずだが、彼女はいつもミスラのいる位置を正確に振り返る。 「……リューディア?」 困ったように名前を呼ぶミスラに、彼女は困ったような顔で笑いかけた。 「私ね、……本当は、あんまり、人前で歌うのは好きじゃないの。顔が見えなくて厭だわ。あなたやお父様やお母様に歌うときのように、聴いてくれるひとの気配がすぐ近くにないと、怖い」 彼を探して伸ばされる腕をすぐに手に取り導きながら、彼はじっとリューディアを見下ろした。 ミスラの胸に体を預け、彼女はゆっくりと目を瞑る。 小さく柔らかな唇が囁くように歌うのは、クリスティアーネが歌った歌曲の続きの一曲。 昼間にお忍びので出かけた彼女が運命の恋人に出会い、けれど周囲には認められず、壊されかけている恋を必死に守ろうとする歌だった。 ****** えらいぶつぎれですな。 歌姫とその従者3組目。珍しくしっとり度高めのひとたちです。 ちなみに1組目はこの彼女の妹とそのへたれ従者で、2組目は今は下げてしまったちんまいお姫様と尻に敷かれてる従者。 ていうかこのひとたち前にもちょこっと書いた気がしますが、かなりの高確率で前とは名前とか設定が違うだろうと思います(アバウトすぎだお前)。 ハイハラグーンは3人兄弟です。兄姉妹。 妹ふたりが結婚する気全くないので、あからさまにシスコンなお兄ちゃんは親の期待を一身に背負い、邪魔者従者を追い払おうと画策したりで大変です。 |