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ゆみなです。遅くなりましたがどうぞ今年もよろしくお願い致します。
今「遅くなりましたが」が書いたが、ほんとに遅いと思う。 今年になってすでに12日目なのになんと『いれぎゅりゃ!』はまだ三回だ。 3人もいながらまだ三回の更新しかなされてない。 「まったくこの3人は。とほほ。。」ってやつである。 去年は『りゃ!』の閉鎖とか『いれぎゅりゃ!』の開始とかリレー小説の復活とかリレー小説の失敗とかなんだかんだとあった年だったが、 今年もたいして代わり映えのしない一年になることは推して知るべしであろう。 なぜなら、私たち3人、新年を迎えても「今年こそはこうしてやろう」とか「今年の抱負は」ってもんが何もないからだ。 いや、もしかしたらあゆとるるは密かに秘めているのかもしれないが、 少なくとも私はない。 わざわざ太字にすることでもないが、ないもんはしょうがない。 だいたい私は昔から予定をたてるとか計画を練るとか抱負を語るとか、そういう類が苦手だった。 嫌いではないのだが苦手なのだ。 では「嫌いではないのに苦手」とはどういうことか。 子供のころから夏休みや冬休みの宿題とかに決まって「夏休みの学習計画表」なるものが出された。 私はそのような長い休みに入る直前にはそれはそれは立派な計画表を立てたもんだった。 宿題等は休みの前半に全て終了し、後半は自由研究に打ち込み、当然朝のラジオ体操も欠かさずに行きます! というものだ。 休みに入るまでの意気込みたるや、おそらく誰も私に敵うまい。 気持ちだけは充分にあるのだ。 だが、その計画は一度も実行されることなく気づけば休みの最後の日を迎えていた。 ラジオ体操なんてとんでもないことだったし、自由研究どころか宿題だって手付かずのまま最終日がやってくるのだ。 読書感想文だって、本当は3冊分書かなきゃならないのに、一冊だって読み終わってない始末だ。 結局、本の紹介文を参考に、きっとこんな内容なんだろうと勝手に解釈し、それについての感想を書く始末だ。 つまり読書紹介文感想文だ。 かと思えば途中まで読んだ本の途中までの内容の感想だけを書いて提出したことだってある。読書途中感想文だ。 思うに、計画をたてた時点で私の気持ちの上で半分は達成されていたに違いない。 それだけで充分に果たした気になっていたのだ。 結婚してからも計画や抱負だけは誰にも負けなかった。 絶対に来年こそは家計簿をつけようとか、早起きしようとか、掃除もマメにこなして母親らしい母親になろうとか、 とにかく年末の意気込みだけはすごい。 しかし、年が明けるやいなや、その意気込みは三日と持たず消沈し、暮れに買った新品の家計簿はいつのまにか姿を消し、 早起きや掃除をするという目標は元旦から玉砕した。 そんなことを毎年続けてるうちに、へたに目標や抱負なんか持つから新年早々自分の不甲斐なさに腹が立つのだとやっと分かり、 ここ最近は、なんの抱負も持たず新年を迎えることにしている。 すると、なんと清清しい新年を迎えられることだろう。 今年の目標が何もないもんだから何かに向って必死に頑張る事もないし、自分に課したノルマがないから、 なんのプレッシャーも感じられず生きていかれる。 その日その日に起きた事だけをこなしていけばいいわけだ。 なんと楽なことか。 どうせ何が起きたところで、なんとかなるもんなんだから難しく考える必要はないのである。 流れに任せておけばいつか終わってるってもんだ。 いやー楽々。 どうせ人生山あり谷ありで計画通りになんて行かないもんだ。 そしたら最初っから計画なんて立てるもんじゃないってことにやっと気がついたね。 「行きあたりばったりの人生」 これほど楽しくラクなもんはない。 ま、今年もいろんなことがあると思うが、その時その時でなんとかなっていくだろう。 ってことで、今年もよろしく。
rya
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