DiaryINDEXpastwill


2002年12月24日(火) 帰ってきたゆみな!

お待たせいたしました。ゆみなです。
え?待ってませんか?

いや〜しかし、久々だねええ。
私がいない間、全然誰一人、ええ、猫一匹、私の所在を気にしていないとは
一体どういう了見なんだ?あん?

って、いきなり喧嘩売るなよ。わし。

ここ数日、雲隠れしていました。
あ、雲隠れっていっても、私の陰になって雲の方が隠れてたんですけどね。
でも『りゃ!』はしっかり呼んでましたよ。

呼んでどうする。
「りゃ〜〜〜〜〜!!」って呼ぶんかいっ!
読んでただよ。

しかし、なんだね。ふたりともどうでもいい話ばっか書いてましたね。
あ、いいのか。「どうでもいい話」って、ちゃんと断りいれてるし。
そういう意味では、ふたりとも「タイトルに偽りなし」ってことか。

さて、ワタクシごとではありますが、
いや、今までも全部「ワタクシごと」を書いてたわけで。
「わけで」で思い出しました。
純くんと内田有紀。結婚しましたね。綺麗でしたね。内田有紀。
私、昔、似てるって言われたことあるんですよ。



丸太小屋に。


あ、ちょっと古いネタでしたね。
いやね、私、このあたりの『りゃ!』から時間が止まってたもんですからね。

で、なんだっけ?
あ、そうそう。「ワタクシごと」だ。
って、なんかすげえわざとらしい持っていきかただな。これ。
って、どうでもいいからサッサと書けってか?あん?


実は、先週。
私の乳が無くなりまして。
乳が無くなってどうする。そんなのは生まれつきだ。ほっとけ!

父だよ。父。
父がね、亡くなったんですよ。

ええ。北海道に住んでるたったひとりの私のおとうさんってやつです。
先月の末に、親戚から「ガンだから」という報せを受けましてね、
んでもって、すぐに北海道にすっ飛んでいったわけで。
「わけで」で思い出しました。
あ、もういいですか。いちいち思い出さない方がいいですね。

12月の8日に会った時は、まだベッドの上で話が出来たんすよ。
で、安心してこっちに戻ったきたんだけどね、その翌日に容態が急変してね、
14日には弟が日帰りで行ったんすよ。
その時はすでに酸素マスクつけてて、話も出来ない状態だって聞いたもんだから、
すぐにまた、16日に私は日帰りで会いに行ったんすよ。

その時はもう完全に話せませんでしたね。
「私」だってことは分かって、「うんうん」って頷くんだよね。
んでもって涙まで流されちゃって・・・
こりゃ、もうたまらん!ってやつですわ。

そして19日の朝、亡くなったという報せを受けたっすよ。

ここまで読んでて、「親戚からの報せ」ってオカシイんじゃないの?
って思ったそこのあーた!スルドイ!

そうなんすよね。
実は私と父の関係はちょっと「ワケアリ」ってやつでね。
あ、「ワケアリ」って言っても、
別に父がオカマだとか、私が父の姉だったとか、そういうんじゃないからね。

父は私が17歳のときに離婚してるんでね、ずーっと会ってなくてね、
で、20年ぶりに会ったら、こういう状態だったってわけで。
「わけで」で・・・(以下省略)

でもね、やっぱ血ってすごいよね。
いくら会ってなくても、親は親なんすよ。父は父はなんすよ。
哀しくて哀しくて。

私の父って人は、そりゃ〜もう明るい人でね、
家を出て行くときもね、あ、父は女の人が出来て出て行っちゃったわけなんですがね、

「俺は、いつか必ず帰ってくる。あいつは病弱だから一人にしておけない。
、あいつを看取ったら必ず戻る」

なんてことを言って出て行っちゃったわけなんすよ。

よくもまぁいけしゃ〜しゃ〜と言えるよな。抜けぬけと。
しかも、女の人より自分の方が長生きするって決め付けてるし。

でもね、なぜかそれが憎めないっつーか、
「ま、お父さんってそういう人だよな」って、つい思わせるようなキャラだったんすよ。
だから、母は今まで私や弟に父の悪口なんて一度も言ったことないし、

「パパはね、面白いし、すごくいい人なんだよ。
ただねぇ、家庭に向いてないってゆーか・・・」

という感じだったんすよ。後半、言葉を濁すところが、また良いですよね。
私も弟も父のこと全然嫌いじゃなかったしね。
「まぁ、そのうち帰ってくるんだろう」くらいに思ってましたからね。

ところが帰ってこなかったっすよ。

私はね、漠然と思ってたんすよ。
「いつか、必ずいつか私のダンナと子供たちと父とで一緒にご飯を食べる日が来る」って。

でも来なかったんだよね。

結局、お父さんには、私んとこと弟んとこで合わせて5人の孫がいるんだけど、
誰からも「おじいちゃん」って呼ばれることはなかったんだよね。
顔も名前も知らないでさ。
私のダンナの顔も、弟のお嫁さんの顔も知らないでさ。

なんかね、私はそれだけが心残りだよ。
漠然となんて思ってちゃダメだね。思ったら即行動に移さなきゃダメだね。
教訓だよ。これ。

でもね、私。最後にすんげえ親孝行したんだよ。
いや、勝手に「した」と思い込んでるんだけどね、

お父さんはきっとね、あんなノー天気な父だったけどね、
私や弟に対してすごい引け目を感じてたと思うんだよね。
負い目って言うのかな。「捨てた」って思ってると思うんだよね。

でもね、最後。16日に会った時、私は父に言ったよ。

「私はお父さんの子供でよかった。お父さんのこと大好きだった」って。

それを伝えられただけでも私は満足してるよ。
父も分かったらしく、涙を流してたしね。
手を握り返す力も、返事をすることも出来なかったけど、
泣いてた。

お父さんには、そんな重荷を降ろして旅立ってほしかったしね。
これを伝えられただけでも私は親孝行したと自負してるよ。
私がこれから生きてく上での「自信」になったと思ってるよ。

お葬式の日に初めて会った今の奥さんにも
「今まで父がお世話になってありがとうございました。
これからは父の分まで長生きしてくださいね」って言えたしさ。

ひとり残された彼女にも、私たちへの負い目をなくして、元気に生きていってほしいと願うよ。

なーんて、すんげえ暗くなった?

私は大丈夫だよ。「元気」とまではいかないけどね、
でもね、私たち親子の場合に限っていうとね、「死」は「別れ」じゃないような気がしてね、
これからは「おとうさん」って呼ぶと、すぐに答えてくれそうな気がするんだよね。
いつもすぐ傍にいるような気がするんだよね。

約束どおり、ほんとに帰ってきたような気がするんだよね。

それにね、父を失ったかわりに、
もちろん父の代償なんて世の中にはなにもないのだけどね、
でもね、今回のことでね、私はいろんな人たちの「暖かさ」に触れることが出来たよ。
お葬式の日に会った父の兄弟たちからは、
「ほんとごめんね。寂しい思いさせてごめんね」って言われたりさ、
今の奥さんと私の間に入った親戚たちの気遣いやさ、
それとあちら(今の奥さんたちの兄弟)の人たちの私への対処の仕方とかね、
なんか、みんな良い人ばっかりでさ、
私は哀しくて寂しいんだけど、心はあったかだったんだよね。ポカポカだったんだよね。
みんな辛かったんだなぁ。って・・・

それにね、父は私たちにはな〜〜んにもしてくれなかったけどね、
でもね、父は私に最大のプレゼントをしてくれたんだよね。今思うと。

私は結婚相手は「見た目じゃなく仕事を一生懸命にする人。家庭を大事にする人」
って無意識に決めてたような気がする。
これって、父の反面教師なんだけど、でも、これは父からの贈り物だったと思うし、
母の苦労を目の当たりに見てきたからね、私も弟も
「絶対に母には幸せになってもらおう」って頑張ったしね。
ものすごい親子3人の強い絆が、17歳の時点で出来上がったんだよね。
これは、父が私たちに残していったものだと思うよ。つくづく。
父にとっては不本意な贈り物かもしんないけどさ。


ってわけで、
「わけで」で・・・って、しつけえよ。

これが、ここ一ヶ月間の私の周りに起こった出来事。
自分の日記も、『りゃ!』も書いてなかったんで、心配してくれた人たちありがとう。

そして、なにより、
この経過をすべて承知の上で、不安定だった私を見守ってくれたあゆとるるに心から感謝!










↑エンピツ投票ボタン

My追加


rya |こっそり掲示板

My追加