英国留学生活

2002年05月21日(火) マクドナルド

今日のテーマ。
「マニュアル化されていないマクドナルド」というパラドックス。

今日の比較文化のレクチャーのテーマは
「グローバリゼーション」
西洋による文化の均質化ということでよく取り上げられるのは
ハリウッドとマクドナルドだ。
画一化されたマクドナルドのシステムは「"Just do it" branding」
と呼ばれ、単調な企業文化の象徴とされている。

しかし、大英博近所のマクドナルドはマニュアル化されていない。
と思う。
1回目、注文したものと違うものがでてきたので、
「これ、パッケージ違うけど、注文したものであってる?」
と聞くと、
「違うのはパッケージだけよ、私は気にしないわ。」
(貴方が気にするかしないかの問題なのか・・・?)
と思いつつその場で開けてみると、やっぱり違うものが入っていた。
2回目、他にお客さんもいないのに、10分も待たされて
出て来たものは矢張り注文したものと違うもの。
なんなのだ・・・一体。
これは文化均質化に対する反証か、
マクドナルドのアイデンティティの喪失か。

昨日買ったチョムスキーの「9-11」を読んでいる。
今半分ぐらい。(間に合うのか?)
インタビュー形式で比較的わかりやすいのだが、
「テロリストがワールド・トレード・センタービルをシンボルとして
選んだと仮定して、グローバリゼーションと文化覇権はどのように
アメリカへの憎悪を作り出すことを助けたか?」
という質問に対して、
「それは都合の良い解釈」とか「慰めのための想像図」といった
返答をしているのが意外。この文脈で何がどう慰めになるのか、不明。
引用しているニューヨークタイムズの
「実行者は西洋を形作っている価値を憎んでいる、自由、寛容、繁栄・・・」
というのは確かに自分たちへの慰めかもしれないと思う。
(彼らの言う)自由は確かに西洋啓蒙思想から形成されていったと思うし、
実際、現在繁栄しているけど、寛容は?
何故「Charactarized Western」なのだろう。
西洋が寛容みたいじゃないか、とは言わないけど、
西洋以外が非寛容みたいじゃないか、とはちょっと言いたい。
昨年末日本に帰ったときに見たニュースの特番で
ニューヨーカーたちが、何故攻撃されたかという問いに
「意味はない、彼らは悪魔だから」とか、「嫉妬しているから」
と応えていたのが印象的だった。そこには日本のメディアの意図が
入っているのだろうけれど。
その印象が強かった為に、チョムスキーのアメリカ人は冷静に
対応している、という返答は新鮮に感じた。


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