今日のテーマ。 「マニュアル化されていないマクドナルド」というパラドックス。
今日の比較文化のレクチャーのテーマは 「グローバリゼーション」 西洋による文化の均質化ということでよく取り上げられるのは ハリウッドとマクドナルドだ。 画一化されたマクドナルドのシステムは「"Just do it" branding」 と呼ばれ、単調な企業文化の象徴とされている。
しかし、大英博近所のマクドナルドはマニュアル化されていない。 と思う。 1回目、注文したものと違うものがでてきたので、 「これ、パッケージ違うけど、注文したものであってる?」 と聞くと、 「違うのはパッケージだけよ、私は気にしないわ。」 (貴方が気にするかしないかの問題なのか・・・?) と思いつつその場で開けてみると、やっぱり違うものが入っていた。 2回目、他にお客さんもいないのに、10分も待たされて 出て来たものは矢張り注文したものと違うもの。 なんなのだ・・・一体。 これは文化均質化に対する反証か、 マクドナルドのアイデンティティの喪失か。
昨日買ったチョムスキーの「9-11」を読んでいる。 今半分ぐらい。(間に合うのか?) インタビュー形式で比較的わかりやすいのだが、 「テロリストがワールド・トレード・センタービルをシンボルとして 選んだと仮定して、グローバリゼーションと文化覇権はどのように アメリカへの憎悪を作り出すことを助けたか?」 という質問に対して、 「それは都合の良い解釈」とか「慰めのための想像図」といった 返答をしているのが意外。この文脈で何がどう慰めになるのか、不明。 引用しているニューヨークタイムズの 「実行者は西洋を形作っている価値を憎んでいる、自由、寛容、繁栄・・・」 というのは確かに自分たちへの慰めかもしれないと思う。 (彼らの言う)自由は確かに西洋啓蒙思想から形成されていったと思うし、 実際、現在繁栄しているけど、寛容は? 何故「Charactarized Western」なのだろう。 西洋が寛容みたいじゃないか、とは言わないけど、 西洋以外が非寛容みたいじゃないか、とはちょっと言いたい。 昨年末日本に帰ったときに見たニュースの特番で ニューヨーカーたちが、何故攻撃されたかという問いに 「意味はない、彼らは悪魔だから」とか、「嫉妬しているから」 と応えていたのが印象的だった。そこには日本のメディアの意図が 入っているのだろうけれど。 その印象が強かった為に、チョムスキーのアメリカ人は冷静に 対応している、という返答は新鮮に感じた。
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