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2003年08月23日(土) ■ |
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J.K.ローリングにノーベル文学賞を? |
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昨日は珍しく日本の本を読んだが、私が日本文学を読むというのは、夏目漱石や宮沢賢治を別にしても、よっぽどのことなので、昨日の日記を読まれた方は、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』とマイケル・カニンガムの『めぐりあう時間たち─三人のダロウェイ夫人』が、どれだけ私に合わないかがわかっていただけると思う。
しかし、これは単純に好みの問題でもあるし、また原文で読んだらどうなのだろうか?というのもあるから、これらの本が「良くない」と言っているわけではないのだ。でも、文学の評価というのは、何を基準にして評価されているのだろうか?
「ハリー・ポッター」のJ.K.ローリングにノーベル文学賞を!という運動が起こっているという話を耳にした。それに対する反応は、だいたいは「まさかね!」といった類だろうと思うけれど、でも、特別に「ハリポタ」を擁護するわけではないが、ノーベル文学賞をはじめとする、さまざまな文学賞を受賞した難解な小説を読んで、こんなの面白くない!もう本なんか読みたくない!と本離れしてしまった人たちに、再び本を手にとらせた「ハリポタ」の功績は大きいと思うし、評価されるべきではないかと思う。
ノーベル文学賞受賞作を読んで、何度頭痛に悩まされたことか。ピューリッツァ賞や、ペン・フォークナー賞などの受賞作を読んで、何度がっかりさせられたことか。何も外国文学だけじゃない。芥川賞、直木賞などの受賞作を読んで、何度ため息をついたことやらだ。それを考えたら、賞など無意味だとも思うし、文学の定義のようなものもわからなくなる。
私は文学者ではないから定義などどうでもいいので、よく「純でも不純でも面白ければいい」と言っているのだが、「面白い」という言葉の中にはいろいろな意味が含まれるから、この言葉自体も何を基準にしているものやらなのだが、これは人様に賞を与えるなんてご大層なこととは違うので、完全に個人的な感覚でしかない。
その個人的な感覚で言えば、「ハリー・ポッター」にノーベル文学賞をあげたって、私はかまわないよ。「ハリポタ」の是非はともかくとしても、ファンタジーがノーベル文学賞をとって、なぜいけない? だけどその前に、J.R.R.トールキンの『指輪物語』がとるべきだっただろうな。
〓〓〓 BOOK
◆読了した本
『めぐりあう時間たち─三人のダロウェイ夫人』/マイケル・カニンガム 内容(「MARC」データベースより) 時を超えてめぐりあう三人のダロウェイ夫人。異なる時代を生きる三人の「時間」はいつしか運命的に絡み合い、本流のように予想もつかぬ結末へ…。同名映画の原作。ピュリッツア賞、ペン/フォークナー賞受賞作品。
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