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2003年03月25日(火) ■ |
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祖父の命日 |
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私が小さい頃に亡くなったので、祖父の記憶はあまりないのだが、ふと今日は命日だったと思い出した。私は祖父にとっては長男の初孫だったので、非常に可愛がられた記憶はあるものの、一方で、変わり者の祖父だったという記憶もある。
歩き始めた頃、おいでおいでをされて、喜んでよちよち歩いていくと、ゴツンと拳骨をくらわされる。驚いて泣き出すと、そのまま抱えあげられて、近くのお菓子屋に連れて行かれ、有無をいわさず決まってドロップを買い与えられた。愛情表現の捻じ曲がった祖父だった。いつも祖父の肩のあたりに抱かれていたので、その頃の私の町を見る視点はかなり高いところにあった。
3歳くらいの時、太ももにおできができた。外科医だった祖父は、酔っ払って「こんなものは切ればすぐ治る!」と言うやいなや、麻酔もなしにメスで私の脚に切りつけた。酔っ払っているので、加減がきかない。火のついたように泣くとは、まさにこういうときのことだ。たしかにおできは治ったが、以来女性のチャームポイントでもある大事な脚に大きな傷痕が残り、ずっと恥ずかしい思いをしてきた。私は祖父を恨んでいる。
祖父の車は紺色のオースチンだった。祖父には運転手がいたが、その運転手がキツネに化かされてから(祖母の話では)、父が運転していたようだ。祖父が亡くなってからも、父はオースチンに乗っていた。その印象があまりに強いため、私もミニクーパーみたいな角丸な車が好きだ。車といえば、それしか思い浮かばないくらいである。
鉄砲で猟をするのが祖父の趣味だったため、猟犬も飼っていた。ポインターとかセッターとかだ。今でこそ私は犬好きだが、子どもの頃は犬には何の興味もなかった。猫もしかり。生き物がそこにいるのは当然のように思っていた。雉などの剥製が無造作に飾ってあるのも、当たり前の風景だった。ある日飼っていたポインターが車にはねられ、瀕死の重傷にも関わらず、必死に家まで帰ってきた。帰巣本能というやつか?良い犬は外では絶対に死なないものなのだそうだ。祖父は黙って安楽死の注射をした。
祖父のお墓には(今では父も一緒だが)、本人が詠んだ短歌が刻んである。酒壺を叩いてどうたらこうたら・・・というような歌だ。私は父からはぐうたらの遺伝子、祖父からは酒飲みの遺伝子を受け継いだようだ。
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