以下、さっき偶然見つけて読んで「あぁ、こういうコトってあるなぁ〜」と思ったコラム、
藤沢優月さんのそろそろ本気でゆっくりコラム「Vol11.惑わされない」より引用♪
(略)でも、気づいたのです。
ポスターの前でうろつくも、映画館に足が向かなかった本当の理由は、時間の贅沢さでもない、サービスデーの値段でもない。
その実わたし、「映画を見る」ということ自体があんまり好きじゃなかったのです。うすうすは、感づいていたのです。でも、なんとなく言い出しづらかった。
世間の人が「いいよー」って言っていることで、一般的に「かっこいい」とされていることに関心がないなんて、なんだか切り出しづらかったのです。映画を見に行くことはおしゃれに見えて、「大人の休日」のように感じます。そして「映画が好き」という友人たちはとても趣味が良く見え、私がそれをすれば、なんだか素敵になれる気がしたけれど...。
(中略)自分に正直になってみて、気づいたのです。
私がいちばんリラックスできる休日は、気にいりの地ビールを飲みながら、読みかけの洋書に没頭すること。
(中略)一見「おしゃれに見える」ことをして、自分にも時間にも嘘をつくよりも、本当にしたいことをして、時間を楽しんだ方がずっと喜びが大きい!
気に入りの地ビールをあけ、5章読んだ後に満足げに伸びをして、気づいたのです。
心が静かに満ち足りている。かっこよさも、麻薬みたいなドキドキ感もないけど、ゆっくりと潮が満ちてくるように、心が穏やかな喜びで満たされています。「クライ」って思われても「生産性がない」と言われても構わないから。
「そろそろ本気でゆっくりしよう」
なによりも私自身が、自分に言い聞かせる日々が続いているようです。
藤沢優月さんのそろそろ本気でゆっくりコラム「Vol11.惑わされない」
というか、「映画を見る」って、私は、全然「おしゃれに見える」ことだと思わないし、個人的にも全然好きじゃない活動なのである。理由は単純で、映画って、どこかの誰かさんの妄想を商品化したモノだし、誰かの創った世界を「見る」のではなくて、自分で「体験する」コトのほうが楽しい。そういう感じがするのである。(→同じ理由からなのか、小説もあんまり読まないんですよなぁ。でも、好きな小説は何回も読む傾向はあるし、活字はたくさん読んでますw)
というか、人間って知らず知らずのうちに、客観的に「おしゃれに見える」ことを主観的にも“好きである”ことがおしゃれ、みたいな、妙な心理的拘束を受けつつ暮らしているものなんですよなぁ。「おしゃれに見える」コトを良しとして、消費者を洗脳していく経済って、マーケティングって、情報化社会って、コワイですなぁ。。
でも、「本気でゆっくりする」“コツ”って実はすごく簡単で、ただシンプルに「自分に正直になってみる」だけで良いのでしょうなぁ。って、コトを考えながら、“「クライ」って思われても「生産性がない」と言われても構わないから”こうして日記を書いている私でありました、あは(苦笑)♪