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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2005年07月06日(水)
【proximity talks】「やりがい」の周辺で。


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そういえば昨日○○勤務の友達と話してて気づいた事なんだけど。昔の僕は「やりがい」というと彼がしているようなことを「やりがい」だと思っていたふしがある。けれどどうしてだろうな。今はああいうのってダメらしい...。

というのも「やりがい」を感じる仕事、という定義が僕のなかで年々少しずつ変化していて、妙に聞こえるかもしれないけれど今では、昔は得意だったはずの、将来大きな何かを掴むために今はこれをする、という事がどうも素直に出来ないみたいなんですよ。

自分では「恐れ」(#不確実な未来を少しでも確実なものにするために保険を今かけなくちゃ、というような心理、とでも言えばわかるか?)がなくなったからかもしれないとは思う。単に楽しいからやって、やりたいからやりたいと言って、好きだから好きと言う。そういう生活をしている現在から過去を眺めてしまうと、まさに「どうでもいい」ことをしていたような気がするんですよ、昔の僕は。

だから彼からすれば今の僕は、悪く言えば「やる気がない」ように見えるんだろうな。でも僕本人としては、少なくとも事故に遭って意識不明になったり死んだりしたとしても、「遣り残した」という感情は湧かないように思う。
うーん。微妙に複雑...(苦笑)  

By Y

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最近、過去の自分のあの前向きさは、「知らなかった」から故なのかも。。と、たまーに、思うんですわ。でも、同時に、本当の意味でほぼ100%「知っている」なんてことはあり得なくて、(今までの経験から自動的に導かれる“未来”についての「想像」や「予想」も含めて。)「頭」ではなく、もちろん知識ではなく、こうしてキーボードを叩くのと同じように「身体」で「知った」としたら、「やりがい」という言葉が入り込む隙間はないのかもしれないよ、と思ったりするし。

なので、勝手に思うに、「やりがい」の有無を“確認”したり、「やりがい」を感じると人に“宣言”したりする必要がないと貴方が感じていて、また、過去の貴方と比較して、「やりがい」という言葉ですべて(たとえば、苦痛や喜び、貨幣や愛、そして他者や自分の存在意義などなど。)を「肯定」する必要性が無いのだとしたら、それなら別に「やりがい」という言葉なんてどうでもイイし、意味はないのかもよ、と、私は思った。(意味不明な文で、失礼します、はい。。)

というか、結局のところ、貴方もわたしも、「やりがい」とやらの周辺でうろうろしてるんだろうね、こうして「どうでもイイw」とか言いつつ「やりがい」について考えてるワケだし(笑)。でも、少なくとも、“周辺に”であって、“中に”じゃない。「やりがい」という言葉へと、労働にまつわる正負すべての感情を収束させて自己正当化して安心できる種類の人でもないんだろうなぁ、ふむ。。

というか、たぶん私は昔から「やりがい」という言葉ってワナだと思っているところがあるのかも。少なくとも「やりがいを持ちましょう」と誰かから言われて「やりがい」を持つ、という場合の「やりがい」って、ワナ以外の何でもないと今でも感じるし。(単に、仕事を円滑に進めたほうが企業のため、ってだけだと思ってしまいますなぁ、こういう場合で使用される「やりがい」って。)

だからなのか、ふわふわ、さらさら、あっさりと。そんな風に日々を過ごしていけばいいなぁと思っておりますです。でも、この「ふわふわ」「さらさら」「あっさり」の“具合”が難しいんですよなぁ、だから私も、微妙に複雑、といえば複雑(苦笑)。

By なお。

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以上、前やってた【proximity talks】というブログの延長で生じた会話を日記化。他のスペースへと小分けするのも手間がかかるし、今後もネタのないときなど不定期に【proximity talks】でいきますです、はい。。
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