数年前。
Steven Pinkerを読むあの人の横顔を見たあの瞬間の、あの気分。さよならを決めてからそんなのないよって感じ。Pinkerなら私も好きだしもっと早く言ってくれたら色々話せて楽しかったのに。あ、でもしかたないか。お互いそんなの読まないふりしてた。そういうの抜きで恋にだけに集中してた。だって恋愛”だったのだもの。けれど。今でもちょっとだけもったいなかったなって思うのは何故だろう。何故“楽しさ”を追求するあの関係性だけじゃ足りないと私は感じるのだろう。
恋愛とそれ以外の役割を、まるで異なる小部屋のように扱い整理整頓して納得できる私、は今はもういない。だから私のクオリア(Qualia)を教えて。あなたの心の中の表象を構成する私という要素の持つ独特の質感を、私の主観とあなたが感じる私という人のクオリアとのズレを知りたい。というようなことを頼んだのはほんの2週間くらい前のこと。まず驚いたのは“クオリア”だけで通じたこと。それと、あっさりいいよと言ってくれて今のところほぼ毎日某所で私の観察日記を書いてくれてること。それと文章書けたんだなぁとしみじみ感心。(私より大分文章力あるって知った。。)
自分でこうして書くときは、私は私の主観に従って書くしかない。たとえば、同じ時間に同じ場所で同じものを見た、としても、私は私の眼、つまり私の仮想を通してみえるものしか描くことはできない。彼は彼の仮想を通してみえるものしか描くことはできない。同時に同じものを見た、としても感じ方の差異がありその伝え方にも差異がある。主体が違えばクオリアの差異がある。どこまで寄り添ってもこの差異は消えることはない。どこまでも消えない”私”と“彼”の間にあるこの薄い膜。この膜こそが“心地よい孤独”(Solitude)の正体なのかもしれないね。
(注1:本来の意味でのクオリアとは主観的体験が伴う質感。よって“私のクオリアを教えて”は、あなたという主観が感じる私の“らしさ”みたいなものを教えて、って感じなのかもしれず。まぁ意味どうにかは通じてるのでこのまま。)
(注2:さっき言われて気づいたけど、昔の男と寄りを戻したという話ではないので注意。お友達の皆さん誤解なされぬよう・・・。)
(10月17日0:30 少し修正)
■参考URL
http://www.qualia-manifesto.com/index.j.html
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0713.html
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/QUALIA/about/qualia_general.html