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   Written by なお。
◆日記『心地よい孤独。』◆
孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。
しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。
byバルザック
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2004年04月19日(月)
言葉の意味と共有化。

35283514ktkQPZ_th.jpg「お前はホントに“わがまま”だよなぁ〜。」とヨウちゃん(お友達)にしみじみ言われる。昔はよく言われたものだけど、近年では非常に稀なお言葉。なので、ちと驚いた、というか、過剰反応したらしいよ候。で、“わがまま”とは良く言うものの、“わがまま”という日本語のどの定義を指して、私=“わがまま”と断定しているのか疑問に思い、ちと調べてみました、はい。


以下、“わがまま”の定義。

≪わがまま 【我が▼儘】≫(名・形動)[文]ナリ
【1】他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動する・こと(さま)。身勝手。自分勝手。「―をいう」「―な性格」
【2】思うとおりに贅沢をする・こと(さま)。
【連語】自分の意のままであること。
「天下を―にまつりごちておはします/大鏡(道長)」
(三省堂提供「大辞林 第二版」より)≫


うーん・・・。っうか、「私ってどっちの“わがまま”なんだろう?」と思ったので、早速発言者のヨウちゃんに聞いてみた。上の定義を口頭で述べながら「で、どれ?」と尋問。すると、彼曰く、【1】ではなく【2】とも違う、「よって、消去法で【連語】の意味かなぁ?」っうコトでありました、はい。つまり、“わがまま”=【連語】自分の意のままであること=私、っうコトらしい。


35291966iofOtr_th.jpgうーん、何か違うくないか?自分の意のまま、と言っても、“意のまま”になる「程度」や「場面」等の要素もあるワケでして、自分としては、“わがまま”という言葉の範疇に収まるような“意のまま”加減ではないと思うのだけれど。。。と、そのままヨウちゃんに言ってみたら、「じゃ、次回から“しばしば”“日常生活で”“意のまま”=“わがまま”、って意味で使うことにする。」とのこと。


っうか、今回の例でしみじみ思ったのだけれど、言葉ってかなり共有化されていませんなぁ。ひとつの言葉を始点とする意味のバリエーションは、“わがまま”を例にすれば、「程度」と「範囲」という2つの軸を取ったとしてもたくさんありまする。細かく言えば、「程度」を“しばしば”“いつも”“たまに”と3つ、また、「場面」を“買い物”“食事”“入浴”と3つに分類できると仮定しますと、9通りの意味が、さらに「対象人物」として“家族”“友人”“通行人”を加えますと、27通りの意味が存在するになってしまいまする。(場合わけしてやってみて下され。)


はぁ・・・。“友達”でさえもこんな具合で言葉が共有化できてないワケだから、“知人”とか“通行人”が「対象人物」だったら、共有化には程遠いよなぁと思う。こりゃあ会議進まないワケですなぁ。あ、それに「対象人物」によっては、軸とした“わがまま”な私、をどの程度“わがまま”と感じるか、その感応度が変化するでしょうし、「何事も時と場合によるのであーる。」というのは名言中の名言ですなぁ、はい。


やはり、思いを伝える道具として、言葉は慎重に、そして大切に扱わなくてはならぬ、っうことやもしれませぬ。かしこ。


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・先日、いやしのつえのじっぽサマが、14日の日記をリンクしてくださいました。じっぽサマ、重ねて御礼申し上げまする。ありがとうございました。

プレジデント・ビジョンのGMOの熊谷社長の言葉、「学ぶとは、いかに自らが知らざるかを知ること」に関してのエッセイ「無知の知」から。自分の現状を知ることから何事も始まるんだから、一度、できないこと・できることを具体的に特定してみようと思う。
タレスは「何が難しいか」と問われて、こう答えた。「汝自身を知ること」タレスは「何がやさしいか」と問われると、こう答えた。「他人に忠告すること」
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